50代女一人馬祖旅 軍事拠点(北海坑道/大漢拠点)と媽祖廟巡り(動画有)

南竿 南海岸

馬祖諸島は台湾の領土でありながら中国大陸の目の前にある金門島と同じく、

1949年~1990年代までずっと中国と戦闘態勢にありました

私が台湾に行った頃はまだ全ての男子に2年の兵役義務があり、

大体は大学入学前に兵役義務を終えることが多かったです。

この兵役は男子にとっては人生の試練?でどの部隊とか勤務地は選べません。

金門島や馬祖に飛ばされたら涙!

付き合っていた彼女とも遠距離恋愛となり、

この2年を乗り切れるかどうかで将来の結婚の確率が変わっていた?かもしれません。

又、軍内では上官や先輩からのイジメもあり、酷いケースでは

戦争で命を落とすのでなく自らピストルで命を絶つケースもありました。

空軍>海軍>陸軍の順で、陸軍に配属されると大ショックと言われていました。

日本の若い男子には想像のつかない世界ですね。

近年になってようやく戦闘態勢は解除され、

軍事基地は引き続きありますが、一部の軍事施設は一般にも公開されています。

兵役も義務ではなくなり志願兵で一年。

但し兵士の数が足りなくなると義務に変わって徴兵されるそうです。

そんな1990年代まで緊張下にあった馬祖。公開されている施設に行きました。

北海坑道/大漢據點/鉄堡

北海坑道1

南竿島の南端仁愛村があり、ツーリストインフォメーションの建物近くに

「北海坑道」と言われる花崗岩を爆弾と手作業で掘った洞窟?(坑道)があります。

軍船を敵から隠す為に1968年から昼夜を問わず掘り続けられ3年で完成させたとか。

北海坑道入り口 北海坑道入り口前 北海坑道 当時の様子

実際に訪れると、そのスケールの大きさにびっくりし、

それを手作業で掘ったということを知り二度びっくりでした‼️

水深はかなり深く、天井も高いです。海と繋がっています。

北海坑道内部3 北海坑道 船に乗る

海水が常時入って来るので満潮の時は歩道部分が水没するので中には入れません

今は電灯が灯っていて大丈夫ですが、掘っていた当時は真っ暗闇だったでしょう。

本土から派遣された若者が暗闇と海水の中で穴を掘っていた時の気持ちを考えるとちょっと悲しくなりました。

北海坑道4

他にも岩山を掘った軍事施設(大漢拠点)鉄トーチカ(鉄堡)にも行きました。

大漢拠点

*大漢拠点は3層の坑道になっていて、1階が倉庫や貯蔵室、高射砲陣地など、2階が生活圏と予備機関銃陣地、

3階が軍連部だったそうです。全長430m。

1975年着工、爆薬と手作業でわずか1年ほどで完成。

2006年情勢緩和に伴って一般公開される。

鉄トーチカ

荒波の海に突き出るトーチカ

私は軍事施設には興味がないし、

暗いイメージもあったので別に観光しなくていいや、と考えていましたが

北海坑道は訪れてよかったです。

馬祖の近代の歴史や、台湾の軍事事情について

多少なりとも知ることができたからです。

写真だけではわからない現場に行ってこそ

「歴史を造った人に思いを馳せる」ことができたから。

馬祖近代史1つい30~40年前のこと

馬祖近代史2今の馬祖から想像できない様子

ずっと昔の出来事でなく、つい半世紀前のこと。

自分が学生でのほほーーんとしていた頃に台湾の若者は兵役で大変な思いをし、

住民も老若男女問わずに軍務に奉仕させられていた歴史にある意味ショックでした。

よくよく考えると、台湾の同世代の男性は皆武器の使い方を知っているんですね。

いざとなれば男子はすぐに戦える、自衛できる。これは日本との大きな違い。

もちろん武器なんて使わず一生を終えて欲しいし

このまま平和な関係でいてもらいたいものです。

鉄トーチカへの入り口


津沙村

津沙村 入り口

津沙村は鉄堡から海岸線を西に向かって徒歩でも行けるしバスでも行けます。

かつて漁業で栄えた集落だそうです。

今も伝統家屋が残り、風情ある景色が見られるとのことで期待して訪ねました。

しかし残念!

2019年5月現在、浜辺のところで大がかりな岸壁工事?をしていて

様々な機材が置かれ、騒音がすごい!

津沙村 1

集落自体は想像していたより小さくて、10分もあれば見終われる規模でした。

また集落中の路地を歩いてみると、

写真で見ていたのとはちょっと違う感じで…

(建物の一部を写すと絵になります。が、個人的に

集落全体の雰囲気はめちゃくちゃ感動するものではなかったです。)

当初この村で宿泊を考えていたのですが、バイクなし一人旅には不便なので

変更してよかったです!

津沙村5 津沙村4

食事できるところも行った時(昼頃)はほとんど閉まっていて、

そこもお一人様用メニューは2つくらいしかありませんでした。

(グループで何皿か頼むといろいろ味わえる、そんな感じで一人旅ではメニューが限られる)

津沙村 食堂 津沙村 炒飯

北竿の芹壁村の様な感じ(高台から海を見下ろしてのんびり食事)を想像して行ったのでがっかりでした。

これなら介寿村に行って市場でご当地グルメ(小吃)を食べればよかった・・と後悔。

バイクや車があればすぐに予定を変更して他所の場所に移動できますが

バス移動は本数も少なくてこういう時不便ですね。

津沙媽祖廟(馬祖4大媽祖廟の一つ)

津沙村媽祖廟 津沙村媽祖廟

路地をうろうろしていたら、媽祖廟を発見しました。

外壁も中も真新しい感じ。改修されてまだ年月が経っていないのでしょうか?

この廟では珍しく、媽祖様の「絵」がありました。

又、床の装飾(龍の絵柄)が綺麗で印象に残りました。

時間があればこちらにも立ち寄ってくださいね。

後から知りましたが馬祖4大媽祖廟の一つだそうです。

津沙村媽祖廟 津沙村媽祖さま


仁愛村(鉄板) 金板境天后宮(馬祖4大媽祖廟の一つ)

鉄板 媽祖廟全景

建物を横からみると壁が火山のような形をしている。南竿で唯一の閩東式建築を取り入れた廟

南竿島南部、仁愛村の中心に今回の媽祖旅で気に入った

媽祖様ベスト3に入る媽祖様おられます!

正直、(馬祖で一番有名な)天后宮の媽祖様より何故か身近に感じられました。

 

媽祖様がより人間に近い佇まいだからだと思います。

鉄板 媽祖像

少女媽祖と称される媽祖さま

宮の建物はこちらも200年以上の歴史があり、改修を重ねているものの

ご神体はかなり古そうです。

シンプルながらも居心地のよい、そんなお宮です。

鉄板媽祖廟の花 鉄板媽祖廟展示室 隣接の展示室

このお宮は一度昼間に参拝していましたが、

思いがけなく夜にも立ち寄ることになりました。

というのは、以下の流れで。


晩御飯に地元の物を食べたいと宿の近くを探してみたものの、村には飲食店が無いに等しく
たった1軒空いている店は訪れた時、団体の予約客でいっぱいでした。

店の前で可愛い小学生の女の子が接客してくれ、
「今席が無いの。よかったら後で来て!私が席をキープしといてあげるから。」と言ってくれます。
待つのは面倒なので
「他に食べられる店はある?」と尋ねると
「もう一軒だけあるけど、あそこは高いよ。後でうちにおいでよ!」
「じゃ、いいや。あそこの雑貨店でカップラーメン買って食べるから」
「ダメダメ、カップラーメンなんて栄養バランス良くないよ。
席とって待ってるから30分したらおいでよ。」

と、まあこんな大人顔負けの女主人の様な接客をしてもらったので猫の店の女の子

「それじゃ後から来るね」と言って店を離れました。


さて。30分をどう潰すか・・

既に日は暮れ、周りに行く所などありません。

そこで天后宮を思い出し、あそこなら夜でもやってるかと思って行きました。

鉄板媽祖廟の夜

まだ扉は開いていましたが、中に参拝者はいません。

昼と異なり電灯で媽祖様が輝いてるから写真を一枚撮ろうと思い、

一歩踏み入れると・・

一人のおじさんがいて、目が合ったので寄って来ました。

軽く挨拶して日本人だと話すと、おじさんは色々建物や宮の歴史について

詳しく解説し始めました。

昼間一人で来た時には気がついてなかった建物の構造や飾りなど

説明を聞いて初めてわかったことがあり、為になりました。

例えば梁の下に貼ってある鋏やナイフの切り絵や

ぶら下げてある竹細工筒の意味とか。

(鋏→邪気を払う 剣→魔除け)

貼ってある紙は東西南北天地6カ所に結界を張っているとのこと。

鶏と兎の絵は太陽と月を表している等がわかりました。

この他昔神事に使われていた道具の展示室にも案内してくれて楽しかったです。

おじさんは宮の人ではなく、

天后宮の後援会か何かで役をしている人みたいでした。

とてもこの村の歴史を大切にし、誇りに思っていることが伝わってきました。

タイミング良くこのおじさんに出会えたのは媽祖様の計らいかも!

お昼、品のある媽祖様に「媽祖様お美しいですね」と

お褒めしたからかもしれません。

あっと言う間に待ち時間の30分が過ぎ、例の食堂に戻って

店自慢の老酒麺線を食べました。

店によって味が違う・・^^

やっぱりトッピングは固焼きの目玉焼きが乗っているのですが

このお店のスープはお酒の香りがマイルドで、色も黄色みがかっていました。

美味しかったです❤ 他のメニューも美味しそう!

猫の店 店内 鉄板 老酒麺線

お腹が膨れ、満足して店を出ようとすると急に大雨が降りだし、

その雨は止むことなく雷を伴って翌日の朝まで続きました。

(この天気がハプニングを引き起こすとはこの時は知らず~)

動画

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鉄トーチカ