学芸都市:古都コインブラ必見スポット モンテゴ川東岸地域 の続き
コインブラの中心街は観光客が多く賑やかでそれはそれでいいのですが
コインブラで時間に余裕がある、静かな場所で自然にも触れたい・・
そんな風に思う時は絶好の散歩コースがあります。
コインブラに縁深い女性達(イネスとイサベル妃)に関わる有名なスポットを尋ねるのはいかがでしょうか?
コインブラのランドマーク=ジョアキン・アントニオ・デ・アグイアール(大臣評議会会長を務めた人でコインブラ大学と関りのある人物)の記念碑の前
でサンタ・クララ橋を渡らず、更に川沿いを南下します。
目次
恋人達の泉(Fonte dos Amores)へ
まずは恋人達の泉を目指します。
- ヴェルデ・ド・モンデゴ公園を通過して
- 「ペドロ&イネス」橋を渡り
- 「涙の館」から
- 「恋人達の泉」へ行く
片道約40分のコースです。
ヴェルデ・ド・モンデゴ公園
この公園は特に何があるというわけではありませんが、
私が訪れた時は秋だったので落ち葉が足元で音を立て、
紅葉も始まっていたので川を眺めながらぼーっと歩くのに最適でした。
ペドロ&イネス橋
歴史を感じるサンタ・クララ橋とは対照的に現代風の橋でした。
この時はまだ橋の名の由来の二人の物語をよく知っていなかったので
特に何も考えず渡りました・・
涙の館
涙の館とはイネス・デ・カストロの住居跡で
現在はキンタ・ダス・ラグリマス(涙の館)というホテルになっている場所です。
何故涙なのかと言うと、この地にはペドロ王の悲しい
そして壮絶な愛の物語が残っているからです!
以下 NOBUYOさんの記事から
ペドロ王子とイネスの悲恋物語」あらすじ
時は1339年のこと。
当時のポルトガル王国の王子であったペドロは、父であり国王であったアルフォンソ4世によって、隣国のカスティーリャ王国 (現在のスペイン) の王女・コンスタンサと結婚させられます。ところが、コンスタンサがポルトガルに嫁いだ際、使いとして同行してきたイネス・デ・カステロと恋に落ちてしまったペドロ王子。
コンスタンサという正式な妻がいるにもかかわらず、イネスを妾(めかけ)として寵愛するようになりました。彼らが逢瀬を重ねたのが、コインブラにある涙の館 (Quinta das Lágrimas) の庭園です。
1345年にコンスタンサが病に臥し、亡くなった後は、イネスはペドロの「後妻」のようになります。
彼らはコインブラのサンタ・クララ修道院で3人の子供とともに暮らし始めます。しかし、隣国カスティーリャ王国の強大な圧力を恐れた、ペドロの父である国王・アルフォンソ4世。
1355年の1月、国王が送った家臣たちによって、イネスはコインブラの涙の館 (Quinta das Lágrimas) の敷地内で喉をかき切られて殺害されてしまいます。悲しみに暮れるペドロ王子。愛した人を死に至らしめた国王に対して反旗を翻します。
幸か不幸か、イネス暗殺から2年後の1357年に父のアルフォンソ4世がなくなり、ペドロは正式にペドロ1世としてポルトガル国王の座に就きます。消えることのない憎しみの炎。
ペドロはイネスの殺害に加担した者を把握するため、古くからの家臣たちにイネスの亡骸にキスをさせるという踏み絵のような行為を課し、イネスの殺害に関わった3人の家臣を「生きたまま心臓をえぐり取る」という残酷な方法で殺害しました。
↑コインブラ大学内のジョアニア図書館での展示。イネスの亡骸の手の甲にキスをさせて、忠誠を確かめるペドロ1世その後、「イネスとは生前に正式な婚約を交わしていた」と宣言し、亡き彼女をポルトガル王国の王妃であると認めさせます。
その際に彼女の遺体を掘り起こし、戴冠式まで行ったというのだから狂気をはらんでいます。
1360年、サンタ・クララ修道院に安置されていたイネスの遺体をアルコバサの修道院に移し、精巧に装飾された二つの棺のうちの一つに納めさせました。
1367年にペドロ1世も亡くなり、彼の遺体は遺言の通り、アルコバサ修道院にもう一つ残された棺に納められました。
それから700年近い時が経った現在でも、彼らの棺はアルコバサ修道院に安置されています。
お互いに足を向ける形で向かい合わせて置かれた二つの美しい棺。
「最後の審判が下り死者が生き返る時に、起き上がって一番初めに目にするのがお互いの姿であるように」とのペドロの想いは、色褪せることなくこれからも永遠の時を刻み続けていきます。https://ca-voir.com/about-jp/
恋人達の泉(涙の泉)
涙の館の庭園のバラを横目に館の裏庭へ入っていきます。
裏はかなり広い敷地となっていて途中から道が途絶えています。
人がいないとどちらの方向なのかわからなくなってしまうくらい、
はっきり言って森です! ><”
すぐ傍は車道だとわかっているのに獣道のようなところに入ってしまって迷子・・・グーグルマップは頼りにならず。(焦る!!)
それでもなんとか辿り着きました!
ここで湧き出る泉は非業の死を遂げたイネスの涙だと言われているそうです。
泉の水は溢れんばかりにどんどん湧き出して
隣に池ができてしまったとか。
幼子3人もいたイネスはペドロ王子の父王に子供の命乞いをしたと言います。
子供を残して命を絶たれたのはさぞや無念だったでしょう。
私はエネルギーや死者の想念に鈍感なタイプなので
この場所が悲しい念が残る場所には感じられませんでした。
森の中で明るくはありませんが怖い場所ではありません。
池は綺麗でしたし、傍に立つ老木(もしかしたら悲恋を見ていたかも)も
堂々としていて好印象。ドレスを纏っているかのような姿。
歩くのが面倒な方はUber タクシーで8分、約3~4ユーロ
涙の館前で下車、そこから徒歩10分くらい。
ランドマークの記念碑から徒歩だと40分くらい
サンタ・クララ橋とサンタ・クララ・ノーヴァ修道院
恋人達の泉/涙の館からコインブラ大学方面に戻るのに
来た道と違うルートで帰ってみましょう。
青の矢印の部分は写真にあるように道なき道なので
目の前に車道が見えていても通れないかもしれません。(通行できれば徒歩10分)
迂回して涙の館に一度戻ってゴルフかテーマパーク方面に向かってみて下さい。(赤い道)
庭から車道に出て、その道を北上していくと
ちょっとした遊園地があり
ロータリーのあたりから坂道が始まり、更に登っていくと
サンタ・クララ・ノヴァ修道院があります。
*サンタ・クララ(聖クララはイタリアの聖人でアッシジの聖フランチェスコに最初に帰依した女性、1194年生まれ、イタリア女子修道会創始者)
サンタクララ修道院は新旧があり、
古い方は1286年に第6代国王ディニスの王妃イサベルによって建設されました。
イサベル王妃は敬虔なクリスチャンで貧しい人々のためにパンを配り歩くなどしたそうです。
元々あった場所はモンテゴ川岸に近く、度重なる洪水に見舞われたため閉鎖され
現在の新修道院は1649年に西岸高台に建てられました。
*ディニス王と王妃イサベルの婚礼があった場所はオビドス 関連記事
そして1677年にはコインブラ守護聖人となったイサベル王妃の棺が旧修道院から運び込まれ安置されました。
修道院内には旧サンタクララ修道院から持ち込まれた品、
イサベルに関する絵画や、金箔を施したバロック式木工装飾の祭壇があり見ものです。
祭壇部分は自由に見学が許されておらず、必ずガイドが付くことになっています。
ガイドと言っても詳しく各場所の説明をしてくれる訳ではありません。
どちらかと言うと見張り役的な雰囲気。
私は人が傍にいるとなんだか落ち着いて鑑賞できないので豪華な祭壇は軽く見るだけで
終わりました・・・
回廊に出るとガイドの人はいなくなったのでここで一息~
夕方で誰もおらずお一人様状態^^
季節的に花壇に花はなかったですが、シーズンは綺麗な花々で彩られるようです。
モンテゴ川東岸は訪れる観光客は多いですが、
この修道院は西岸、しかも高台にあり急な坂道を上ることもあってか観光客はさほど多くありません。
その分、静かに見学することができます。(ガイドさえいなければもっと気楽なのに!)
また修道院前の展望台は対岸、コインブラ大学などコインブラの街を一望できる絶景スポットで、
夕陽に映えた街並みが素晴らしかったです。
コインブラもスペイン サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の途中にあるので
この修道院の傍にも公共アルベルゲ(巡礼者用宿)がありました。
(教会だけの見学1ユーロ、回廊や展示室を含めると3.5ユーロ)
最新の開院時間、入場料等は公式サイトにてご確認下さい。
いかがでしたか?
ポルトガルで語り継がれる二人の女性。
どちらも現在のスペイン(アラゴンとカスティーリャ)から来た女性で、
ポルトガルとスペインの深い関りがこの時代から既にあったことがわかります。
とにかく王様にとても愛されていたようで羨ましい^^
二人の女性のことを思いながら是非コインブラを散歩してみて下さい。