アラフィフ旅女 スペイン領セウタからモロッコへ日帰り旅

前回の記事からの続き

スペインに来たのだから目と鼻の先のアフリカ大陸にちょっと足をつけてきたい!

そんな思いとイスラム文化への興味からモロッコ日帰り旅をしてきました。

その時の様子をレポートします。

まずはモロッコ日帰りツアーの手配

アルへシラスの港に沿って大通りがあります。ビルヘン・デル・カルメン通り。

この通りや近辺には何軒かの旅行代理店が並んでいるので

自分の好みのコースがある日帰りツアーを出している店で前日に予約しました。(アラブ系の人が経営してるお店)

カード支払いOKで1万円はしなかったと思います。

代金にはフェリー往復、バス&ガイド代、昼食が含まれていました。

これにチップ別料金。

VIAJES LUKUS Algeciras(サイトなし)

市街地にある旅行会社はどこも昔からの古い感じです。

私は知らなかったので上記のお店を利用しましたが

ツアーはフェリー乗り場のビルでも申し込めます。

小綺麗なフェリーターミナルビルのを入ると廊下に窓口がいくつか並んでいて好きなカウンター選びます。

モロッコへの行き方は主に2通りあって

・タンジェかタリファ (モロッコに直接入るのでアルへシラスのフェリー乗り場2階で荷物検査、出国審査あり)

・セウタ  (セウタはスペイン領なのでフェリーを降りてから暫く車に乗り、陸路で国境まで。そこで出国と入国の審査がある)

私の場合、セウタからタンジェへ向かうツアーでした。

日帰りツアー フェリー乗船までの流れ

私は前日に申し込んだ旅行会社で書類をもらって、

出発当日の朝にこの中央案内所(写真↓)でチケットを受け取りフェリーに乗船しました。

フェリー会社は複数ありBAREARIAを利用。

ツアー参加でなく、モロッコを数日かけて個人で旅する人は自分でチケット手配もできます。

こちらの日本語サイトから予約購入可能です。Direct Ferries

https://images.app.goo.gl/cUxM3ZvVtxPSUTa28

所要時間約1時間 9時半発→10時半着。

8時半頃にチケットを受け取って2階のカフェで朝食を食べ、

30分前にはゲートに入り、空港のような待合椅子のあるところで待ちました。

船はとても快適。内海なのでほぼ揺れることなく、甲板で景色を楽しんでるうちに到着してしまいました!

セウタに到着

セウタのフェリーターミナルは意外と小さく、迎えの人とちゃんと出会えるかどうか心配していましたが出口正面の駐車場のマイクロバスの前で待っていてくれました。

同じフェリーで到着した何名かも同じツアーなのか、

数名と一緒にマイクロバスに乗り込んで国境まで行きました。

国境は車を降りる必要はなく迎えの人達が皆のパスポートを集めてスムーズに通過。

ここで迎えの人はいなくなり、いつしかモロッコ人のガイドさんが乗り込んできてびっくり。

アラビア語、英語、スペイン語、フランス語はもちろんその他どっかの言葉も話せるマルチリンガルなガイドさんです。

彼の自己紹介のあと一路タンジェの街まで走りました。(77㎞ 約1時間半)

タンジェまでの道は想像していたような無味乾燥の地帯ではなく

山が迫って険しい感じながらも時折穏やかな光景も目にできて車窓からの眺めを楽しめました。

お昼すぎにタンジェに到着!!

タンジェとは

タンジェはジブラルタル海峡に面した人口約90万人のモロッコの国際都市。

その歴史は古く、ローマ帝国の支配→イスラム勢力の支配→15世紀のレコンキスタ(国土回復戦争)によるキリスト教の支配を受け、15世紀後半にはポルトガル領に組み込まれました。

17世紀後半に一時イギリス領になった後はイスラム勢力下と長らくなっていましたが

近代になってドイツとフランスの争いに巻き込まれます。

1911年モロッコはフランスの保護国化され、タンジェは国際管理地域となったそうです。

第1次、第2次世界大戦期間中は多国籍による国際管理をうけていましたが

1956年に正式にモロッコに復帰しました。歴史に翻弄された土地と言えます。

多文化国際都市だったことから1930年代から著名人や富裕層が別荘を構えるリゾート地になっています。

セウタとは気候も違うのか、セウタ到着時は曇りで肌寒いくらいだったのにタンジェは青空が広がり、気温も高めで

「アフリカに来た!」と実感できました。

夏の酷暑を少しでも避けられる都市が、海岸部にあってシェルギの熱く乾ききった東風にも襲われないため、気温が35℃を超えることはあまりありません。
さらにタンジェは、モロッコ人が外国に出稼ぎに行くとき、帰るときに必ず通る町でもあります。
ヨーロッパとアフリカとの海上交通の要所、

文化の交流地点として、タンジェはモロッコを旅する人々が真っ先に訪れる港町となっています。


タンジェの街歩き

女性の衣装も車も建物もブルーが印象的な街

タンジェに到着するとマイクロバスで一緒だったカップルさんはどこかに去り、

残るは私とガイドとスペイン人一人旅のおじさんの3人になりました。

降り立ったのはタンジェ旧市街(メディナ)のランドマーク

Sour Meêgazine。

ちょっとした広場になっていてジブラルタル海峡を眺めることができます。傍には大砲も!

まず向かったのは中央魚市場=Marche Central de Poiisson 。

小綺麗で整った施設の中に魚屋、乾物屋、果物屋などが並んでいて

「モロッコって清潔そうやし食材も豊富なんやぁ」と思いました。

はっきり言って現地に行くまではモロッコへのイメージは良くなくて

(モロッコ人はしつこい、イスラムの男性は怪しい、ぼったくられるなどなど・・・かなり偏見ありありでした!><”)

乾燥した土地柄、砂漠の中のむさくるしい場所なのかと想像していましたが

タンジェはどうやらそのイメージとは違うようです。^^

   

次に訪れたのはグランド・モスク。

もともとは神学校だったものを17世紀末に当時のスルタン(王様)が修復し1815年にも増築された建物です。

木製の大きな扉が印象的。ガイドさんが沢山写真を撮ってくれるので一人旅では有難いです。

規模は大きくありません。残念ながらイスラム教徒以外は入れないので外から眺めるだけです。

モロッコのイスラム寺院を見て感じたのですが

同じイスラム国でも中央アジア、イスタンブール、スペイン&北アフリカではミナレットの形が違うんですね!

中央アジアでは玉ねぎみたいなモスクの傍に煙突みたいな塔

イスタンブールあたりではモスク四周に細長い棒のような塔

そしてここ北アフリカでは四角い塔!

*ミナレットとは  モスクやマドラサなどのイスラム教の宗教施設に付随する塔。塔の上からはイスラム教徒に礼拝(サラート)を呼びかけるアザーンが流される。初期イスラーム世界では、ミナレットはイスラームの権威の象徴となっていた

タンジェで最後に連れて行ってもらったのは要塞 カスバ(Kasbah)。

かつての城塞部分は半分崩れ落ち巨大な大砲だけが残っています。

長い歴史のほとんどは戦いの連続だったのかもしれません。

この城塞は17世紀にイギリス人を退去させたスルタンが築かせたもので幾度も改築増築されてきたそうです。

外観の土台はベージュの石組みなのに途中から白壁の建物になっていることからもそれがよくわかります。

そして敷地内にある建物、かつての宮殿は博術館となっていて

カーペット、宝飾品、絹織物、陶磁器等が展示されているそうです

隣接の考古学博物館はモザイク画や遺跡からの出土品が展示されているとか。

博物館は興味のあるとことですが、なんせ駆け足のツアーなので

中に入っている時間はありませんでした。残念!

カスバ美術館 参考サイトMusee de la Kasbah

タンジェに到着して約1時間半で5か所を見学しました。

タンジェは地下鉄もあり郊外にまで広がる大きな都市みたいです。

モスクは入れないにしても博物館やユダヤ教のシナゴーク、英国国教会はあるし

近代的なホテルやショッピングセンターもあって見どころは沢山あるようでした。

数時間だけではとても見切れないタンジェ、

(ああ、もっと自由に見回りたーーーーい!!←心の声)

後ろ髪を引かれながら昼食は取らずに13時半頃タンジェを後にしました。

次の場所はテトゥアンです!

界遺産の街 テトゥアン(Tetuán)とは

関連画像

ローマ人やフェニキア人の使った品が出土する、紀元前3世紀には町があったとされるテトゥアン。

現在の様な様子になったのは1305年頃で、ベルベル人の王国が築きました。

1400年頃に海賊行為をしたということでカスティーリャ王国から攻撃を受け一度破壊されました。

その後レコンキスタ(国土回復戦争)でスペインを追われた難民(と言っても貴族なども含む)が押し寄せて町を再建。

難民の中では異端尋問から逃れてきたユダヤ人も多かったようです。

1860年になると戦争で勝利したスペイン人将軍によってヨーロッパ風に改造されたが人々には不評だったとのこと。

1913年にスペイン領モロッコとなるとテトゥアンが首都となりました。

この様にスペイン領の首都であったことからモロッコでは一般的にすランス語との併用が多い中テトゥアンではフランス語の代わりにスペイン語を話す人が多いそうです。

旧市街地(メディーナ)は白壁の家が密集していて職人たちが多く暮らしています。

山並みに沿って白壁の家々が並ぶ景観は「モロッコのアンダルシア地方」と言われる所以。

そしてその家の多くは(スペインでもよく見られる)外見はシンプル、内部は噴水やオレンジの木を植えたパティオ(中庭)があるイスラム様式です。

主産業は銀糸をはめ込んだタイル製造、履物、銃、織物。

テトゥアン旧市街 

タンジェから南東の方角に向かって約63㎞、車で約1時間20分。

車を降りたのは街の中心地ハッサン2世広場。

17世紀に建造された旧王宮があるところです。

スペインとモロッコの様式がミックスされた建物。

この広場を境に東側が旧市街、西側が新市街となっているそうです。

今回は残念ながら旧市街の方しか訪れることができませんでした(( ;∀;)

関連画像

その広場からすぐのところに壁に囲まれたスークと呼ばれる市場がありました。

壁に囲まれた一角にはいるには数か所の門があり、私たちはBab Al Oklaから入りました。

入り口をくぐると「これぞ私が期待していたモロッコの市場!」というような雰囲気で、

時にはすれ違う人と肩が触れるのではないかと思うような狭い路地が入り組んでいます。

よくモロッコの伝統市場を「迷路のよう」と例えられますが、まさにそんな感じ。

5分も歩いていると今自分がどのあたりをうろついているのか全くわからなくなります!!

地元をよく知っているガイドさんが先導してくれるから盗難や押し売りのことを気にせずに

ただ好奇心だけで店をのぞき写真撮影をしていればいいのですが、

これが全くの一人旅だとそうはいきません。

まったく言葉が通じない閉鎖された空間で警戒心100%出しながら歩くことになるでしょう。

ガイドさんがいてよかった!!!(^^)!

数日滞在するなら徐々に町や人に慣れていけばいいですが、日帰りで効率よく回るにはやはりツアーがいいな、とこの時は特に感じました。

 

この狭い城壁内の中にもイスラムの人が住んでる区域、

ユダヤ人の住んでる区域に分かれているそうで

建物の構造やマークなどから判別できると教えてもらいました。

城内に入った時、時間はすでに14時を過ぎていたことから

まずはランチに連れて行ってくれました。(ツアーに食事込み)

とても立派な100席以上はあるかと思われるレストランでしたが私たち以外誰もおらず・・(+o+)

 

ランチの時間帯より遅いからかも、ツアー客向けレストランだから地元では流行ってないのかも・・

そんなことを思いながら運ばれてくる料理を待ちました。

天井が高くて余計に広さを感じるレストランで、

もう一人のスペイン人のおじさん(別テーブル)と2人だけ。

ガイドさんは遠くで座っていますがお昼は食べてませんでした。

   

出てきた料理は、わーーい!(‘ω’)ノ

タジン鍋のごはん=クスクスと串焼き、アラブ風デザートでした♪

どれも美味しくて満足でした!!

(*それにしてもこの閑散とした雰囲気、後日その理由がわかりました!なんとラマダン=断食月の真っ最中だったのですっ!市場の雰囲気は普通だったので全く気づきませんでした。)

お腹が膨れた後はガイドさんがスークの中をゆっくり案内してくれました。

デーツ菓子などのお菓子や雑貨、衣類、タジン鍋等が所狭しと並べられて活気もあり!

市場はエリアに分かれているようで、食料品、陶器、木工、革製品、貴金属、生地&仕立て、香水などのエリアがありました。

   

モロッコの他のスークを見ていないので比較できませんが、

観光客向けの土産物屋はほとんどないです。

地元の人が利用する生活に欠かせない商品を扱っている感じの市場。

一般的に世界遺産に登録されると観光客が押し寄せて、その人達を目当てにいろいろ土産物を売ったり飲食店を新たに開いたりしそうなものですが、

そんな感じは全くしない、本当に伝統的な市場でした。

昔ながらの方法を守る職人さんたちも頑張ってお仕事。↓仕立て屋さん。

 

たまに立派な門のある建物を見かけましたが外からはどうなっているのか察するのが容易でないイスラム住居。

モスクらしき前で地元のお姉さんと記念撮影してもらいました。

 

さて、ここまで来てガイドさんが素直に帰してくれるわけはありません。

やはりありました、土産物屋へ誘導!!!( ;∀;)

こちら↓高級絨毯を扱うお店の入り口~

昔イスタンブールで絨毯屋さんに連れていかれ買うまで離してもらえなかった経験があるので

最初に「すみません、絨毯は買うつもりないので!!」と強く念を押し、

それでも見学だけでもいいよ、というので見せてもらいました。

そして厚かましく記念撮影も^^

別の雑貨を扱う土産物屋さんの入り口も立派!

ガイドさんは良心的で、土産物屋で買う意思を示さなくても嫌そうな顔はしませんでしたし無理に勧めるようなこともありませんでした。

(いいガイドをしてくれた彼にコミッションが入らないのは気の毒と思ってその代わりにチップははずみました)

1つの土産物屋さんで銀と珊瑚の安いネックレスとアラブ風のブラウスを買いましたが、やはり民族衣装系は日本に帰国してからは一度も着用しませんでしたね(苦笑)

結局旧市街で費やした時間はランチを含めて3時間ほど。

充実した時間を送れたと思います。

帰り際に見たモロッコの別の側面

17時ごろ車で国境へ向かいました。セウタの港までは40km、約1時間。

国境に到着すると驚いたことに車は渋滞、そして長蛇の歩いて国境を超える人の山!!

自転車に積みきれないほどの荷物を載せて国境越えをする人もいました!行商の人なんでしょう。

この半日でわりと豊かなモロッコの側面を見ていたので、粗末な衣服を身にまとって辛抱強く歩いて国境を渡る人達を見るとびっくりしました。

そして私たちはガイドさんにパスポートを渡して無事出国。

彼とはここでお別れでした。運転手さんだけがスペインを超えてセウタの港まで送ってくれました。

国境付近で商売する人も???!

小学生くらいの子供がいると言ってそそくさと帰って行ったガイドさん、私より随分若いはずだけどモロッコ人は老けて見える・・・

18時過ぎにセウタに到着してターミナルで30分ほど待って

19時フェリーに乗船。20時にアルへシラスに到着しました。

とても楽しい1日でモロッコに対するイメージが変わりました。

タンジェもテトゥアンもたくさん見どころがあったのでもっと

ゆっくり見たかったです。

次回は自分一人で有名なマラケシュ等にも行ってみたいです~。


おまけ情報 参考になります!

アフリカ初の高速鉄道、灼熱のモロッコに登場

ジブラルタル海峡とカサブランカをTGVが結ぶ  2018年11月開通

https://toyokeizai.net/articles/-/263813

【危険】モロッコ一人旅で絶対してはいけない7の過ち【女性旅行者は特に】

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