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バクー発日帰りツアーの利用
アゼルバイジャンは首都バクーの大都市から少し郊外に出ただけで
荒野や緑の山々が広がっています。
バクー近郊の観光スポットで有名なのはコブスタン国立保護区や火の寺院ではないでしょうか?
限られた時間の中で東に西に移動するのは大変です。
アルメニア、ジョージアで現地ツアーに満足したので今回も
サイトGet your guide から申し込み、参加しました。(↓こちらGet your guideの利用の流れはこちらから↓)
結果的には問題ありありの旅行会社(アクティビティ事業者)で、
私の利用した会社(Heritage Travel)は”今回は”おすすめしません。( 一一)
最後(日帰りツアー4)にその理由を書きますが、ここでは先に進みます。
前日に旅行会社からSMSに連絡があり、宿まで迎えにきてくれました。
集合場所はシャマハ門。参加人数が多いので2台に分かれ30分遅れで出発しました。
(ここで既にガイドの不手際発生!( `ー´)ノ)
ビビ・ヘイバットモスク
バクーから車で約20分、ビビ・ヘイバットモスクに到着。
外観は3つのドームと2本のミナレット、
事前情報もなく特に期待していた訳ではなかったのですが、中に入ってビックリ!!
天井から壁まで一面パールグリーンに輝く霊廟が!!(*’▽’)
モスクと聞いていたので礼拝室に通されるかと思っていましたが
ここの目玉は霊廟みたいです!
元々はアッバース朝ペルシャ(スンナ派)の迫害から逃れてきた
*シーア派第7代イマーム(指導者)の娘の墓の上に
13世紀(1281年)になってシルヴァン・シャーによって建設されました。
1936年ソ連のボリシェビキにより取り壊され、現在の建物は1990年代に再建されたとのこと。
元々のモスクは小ぶりだったみたいですが、当時は今と同じくらい豪華だったのか気になります。
*イスラム教には2派があり、アゼルバイジャンはイランと同じカリフに血統を重んじるシーア派で
国民90%イスラム教のうちシーア派は75%
とにかくこれまで幾つもモスクを見てきましたがここのモスクの霊廟はユニーク!
霊廟だけでなく、入口の天井、イスラム模様の繊細で美しい木彫刻や
ステンドグラスも一見の価値があります!
入場には女性はスカーフ着用が必須ですが貸してもらえます。
又、霊廟の南には男性用礼拝室、北には女性用礼拝室があり立派で見ごたえがあるようですが、
時間がなくて中まで見学はできませんでした。( ;∀;)
*ちなみにこのビビ・ヘイバットモスクのある区域はかつて石油の採掘場が多くありましたが
石油が枯渇してしまい、今石油の採掘は地上ではなくカスピ海上で行われています。
*イスラム教徒は礼拝前に必ず身体を清めるのでモスクには必ずトイレがあります。
ここでは少し離れたところの地下に広大なトイレ(無料)がありました。
コブスタン国立保護区(世界遺産)
バクー中心から南西に60km走るとコブスタン国立保護区に到着します。
100kmに渡る洞窟群には約1万年前から人が暮らしていたと考えられ
ペトログリフ(岩絵)が60万点以上残っているそうです。
太古の人・動物、戦いの様子、ダンス、闘牛、船、ラクダの隊商、太陽や星等の
絵を確認でき、2007年岩絵の文化的景観において世界遺産に登録されました。
施設内に入るとまず巨石「ガワルダン」がお出迎え。
反響性を活かした石楽器で皆でワイワイ触って楽しみます。
昔の人はこんなシンプルな方法で音楽を楽しんでいたんですね!
それから洞窟を巡ってガイドが有名な岩絵の前で立ち止まって解説してくれます。
確かにあんな巨大な岩に現代のような電動工具もない中で
あれだけ沢山の絵を彫っていくのはかなり大変だったと思います。
が、10枚も見ると飽きてきてしまい、私は様々な形が重なり合った巨石の方に目が行って
岩ばかり観察していました。(-.-)
時間の関係上、博物館には立ち寄っていません。
小高い場所からカスピ海を見渡す風景はなかなかのものでした!
南コーカサスに古代から人が住み着いた理由には:
豊かな資源(自然発火する天然ガスもあった)と
生活に適した気候条件(コーカサスは世界最古のワイン醸造地でもある)、
東西を結ぶ交通要塞としての位置にあったこと等が考えられると思います。
入場料 10マナト(約960円)
*敷地内(階段を上る見晴らしスペースのようなところ)の近くにトイレ(無料)があります。
泥火山にはないのでこちらで済ませておきましょう。
泥火山(Mud Volcanoes)
泥火山とは
地中の帯水層と呼ばれるところに高圧がかかり浸透率の低い粘土層が破壊され、
地下水やガスと共に地表又は海底に噴出し円錐状に堆積したもの。
噴出ガスの86%はメタンガス。油田地帯に多い。
コブスタン国立保護区を出てすぐに地元のタクシーに乗り換えました。(TAXI代:往復5マナト)
何故なら片道約20㎞の未舗装道路を走らなければならなくてバスでは無理だからです。
数台のボロボロタクシーに分乗。道は本当に悪路で凸凹してるは砂埃がひどくて( 一一)
でもそんなドライブも同乗のインド人夫婦とおしゃべり運転手さんのおかげで楽しく過ごせました。
25分ほどで泥火山に到着!
早速皆小山に向かって走っていきます。
見た第1印象は・・「ちっちゃ!( ゚Д゚)」。
火山と言う名に惑わされていて、もっと大きな火山口を期待していたのですが
可愛い小山のてっぺんから泥が「ぽこぽこ」湧き出ていました。
恐る恐る手を入れてみると「冷たっ!!」( *´艸`)
もっと暖かいものを想像していたのですが、火山活動とは関係ないので温度は低いそうです。
又、この泥には薬効があると信じられていて泥に浸かる観光客もいるとか( ゚Д゚)
実際同行の人は準備万端、瓶を持ってきていてお持ち帰りしていました。(美肌効果もあり?)
個人的には短時間でしたがコブスタンよりこちらの方が楽しめました!!
爪の中までドロドロになるのでタオルやテッシュの用意をお勧めします。(乾くと悲惨)
カバンや衣服にも泥はねがついてしまったので汚れてもよい服で参加しましょう!
地理的要因がもたらした豊かさ
コブスタンの100キロにわたる巨大岩の数々、泥火山
生きている地球の歴史やその不思議を感じずにはいられない土地アゼルバイジャン。
現在のアゼルバイジャンが経済的に豊かになっているには理由があります。
それが石油と天然ガス!!
石油生成の黄金期は2億から1億5000年前のジュラ紀で
この時超大陸である北ローラシア大陸と南ゴンドワナ大陸に挟まれた赤道付近にテチス海ができました。
高温と日射にを受け大量の微生物が発生し海底に蓄積。
蓄積した生物層が褶曲した地層に溜まって石油となりました。
その場にあたるのが今の中東付近。
(約18分、石油の成り立ちや中東油田に関し大変わかりやすく解説されています。)カスピ海には石油と天然ガスが大量に眠っています。
世界の戦争の原因は石油や資源の争奪と言われるほどですが、かつてアゼルバイジャンの石油は
世界産出量の半分と言われ、世界から注目されていました。
ソ連時代から石油産業が国家経済の重要な柱です。
石油がもたらした問題
確かに豊かさをもたらしてくれた石油ですが光あれば影もあり、問題がないわけではありません。
問題点を挙げると:
1)石油関連事業に依存しがち。
豊富な資源(石油・天然ガス)の関連産業や関連サービスの発展が進み富が集中する一因に。
一方で他産業や地域への経済的影響が限定的で貧困の要因にもなっている。
⇚荒野に走る石油パイプライン
2)首都バクーと地域間の格差が大きい。
首都では高額な不動産価格や高収入の産業が集中、
地方では雇用機会や社会インフラが不足し貧困の原因になっている。
3)石油関連事業では高収入の機会があるが他産業では機会が限定的。
4)社会的、政治的不平等。社会的政治的コネが貧富の差に影響を与えている。
政府関連/石油産業関連企業の所有権が一部に集中、経済的不平等を招いている。
*大統領職は世襲になっている。
*近年は石油依存からの脱却を図るため農業関連産業にも力を入れ、インフラ、教育や福祉も改善されているとのこと。
タクシー運ちゃんの話とバクーへの帰路で感じたこと
泥火山往復のタクシーの運ちゃん、少しでも私たちからチップをもらおうといろいろアピールしていました。
「バジ●×◎▽!!」(イスラム教の喜捨の意味だそう)って。
「私たちは生活が苦しい」そんなことをインド人夫婦に話していました。
確かに往復40㎞の悪路がたったの5マナト(約465円)!いくらガソリン代が安い国だとしても安すぎ。
車もベンツですがボロボロでいつのベンツ?って感じです。
他のタクシーはソ連時代の古い車も見ましたし。
彼らの生活水準はバクー市内の人と明らかに違いました。
スーパーの物価を見るとこの収入ではどうなん??って単純に思います。
★ ★ ★
一方で泥火山からバクー市街地に戻る幹線道路には
建設中の高級マンションや戸建て住宅が目につきました。
山の斜面を削って建設ラッシュ!
ショッピングモールでも高級リゾート住宅販売のコーナーも見かけましたし。
国民全員が石油で潤っているわけでないと感じました。
コブスタンより更に南へ下ったところには人工島(カザールアイランド)が建設中と聞きます。
ドバイを真似ているのでしょうか?計画通りには進んでいないみたいですが……
動画
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以上、今回はここまでです。
次回「バクー発日帰りツアー2」「バク―発日帰りツアー3」
「バクー発日帰りツアー4 ツアー感想」も引き続きご覧くださいね。
総じて、南コーカサスが古代から人が住みやすい地域であった理由は、その豊かな資源、適した気候条件、そして交通の要衝としての位置付けが挙げられます。これらが集まって、この地域が古代文明の中心地の一つとして栄えたのです。