アゼルバイジャン バクー発日帰りツアー3(ヤナルダグ:燃える山と資源の話)

ヤナルタグ

ヤナルダ―国立文化歴史自然保護区(Yanar Dag)

バクーから東に約27㎞離れたアブシェロン半島のママドリ村に位置する自然保護区。

面積は東京ドーム約64個分でヤナルダグの意味は「燃える山」

絶え間なく燃える炎の壁がある丘が見どころです。

地殻変動と地表下の火山物質により岩から天然ガスが漏れていてかなりの年月燃え続けているそうです。

(マルコ・ポーロも言及しているくらい!)

かつてこの周辺にはこのような燃える岩が沢山存在し、

古代ゾロアスター教の聖地として使用されていたそうです。

別の丘には何千年も燃え続けていた3つの炎があったそうですが

地殻変動により天然ガスの漏れが進んで消えてしまったとか。(3本のフレームタワーのモデル??)

この保護区にはほかにも活泥火山、天然硫黄泉、渓谷などがあります。

保護区のマップ

規模は小さくても

ヤナルタグ1

もっと広く燃えてる場所を想像していたのですが実際は狭い範囲の炎しかありませんでした。

それでも近くに寄ってみるとかなり熱いです!

自然発火でずっと燃え続けているのはやはり不思議ですね。

5月初旬、昼は暑いのに夕方になると急に温度が下がり肌寒かったのですが

ここは天然のストーブ、身体が温まりました(#^.^#)

ヤナルタグ2

丘の上からの景色も最高

今回は時間がなくて渓谷や天然硫黄泉まで見ることはできませんでしたが

丘の頂上から360度、アブシェロン半島まで見渡せました。輝く夕陽が美しかったです!

ヤナルタグの丘 ヤナルタグの丘2

 

 

 

 

 

アクセス

毎日10:00~19:00 9マナト(約850円)

アゼルバイジャンに鉱物資源が多い理由

(以前にも書きましたが)太古の昔大陸移動で

超大陸である北ユーラシア大陸と南ゴンドワナ大陸に挟まれた赤道付近にテチス海ができました。

高温と日射にを受け大量の微生物が発生し海底に蓄積

蓄積した生物層が褶曲した地層に溜まって石油となりました。

白亜紀(5000万年くらい前)に

インド大陸がユーラシア大陸に衝突し、ヒマラヤ山脈が隆起、テチス海が消滅。

地中海、黒海と繋がっていたカスピ海内陸に閉じ込められ現在の形に。

中東やカスピ海周辺に豊富な石油や天然ガスが埋蔵されることになりました。

バクー油田について:その歴史が世界を動かしていた

石油精製会社

石油の国で見えてきたもの

泥火山からタクシーで戻る道では石油パイプラインを見かけましたし

幹線道路でバクー市街地に戻る途中でも大きな石油会社をいくつか見かけました。

それだけではありません。あちこちで高級住宅地や建設途中の高級マンション等も目につきました。

市街地の大型ショッピングモールや都会の人々の豊かな暮らしを見てもこの国の繁栄ぶりが嫌でも伺えます。

その一方でTAXI運賃は(ガソリン代が安い為か)激安で、荒野に走るパイプライン

私の乗ったオンボロベンツのタクシー運転手さんは

生活が苦しいと言っていました。

都会と田舎の差、全ての人が潤ってるわけでもないと感じました。

石油がもたらした恩恵と問題について考えたいと思います。

バクー油田の歴史

1870年(ロシア帝国下)アメリカ人が地下35mで油田を発見。

貧民街に押し込められた農奴が掘削に駆り出されたが1日16時間労働、医療なし。

度々火災も発生するという劣悪環境の中で病気やアル中と戦いながら勤労していた。

昔の映像には真っ黒でドロドロの石油原油にまみれた人々が働く過酷な状況が残されていてぞっとします!

昔の油田 人力での掘削 労働者の衣服

 

 

 

 

 

 

●その後外国資本が入り、近代石油会社が設立され精油方法が編み出される。

鉄道が敷かれ、バクーからバルト海まで鉄道輸送が可能となりスウェーデンまで輸出。

続いてフランス、ロスチャイルド家が油田を買収しイタリアまで鉄道で輸出。

1901年世界石油生産の過半数を占め世界一の油田に

一方でスターリンが製油所で労働者ストライキを煽動したとして投獄される。

1903年 スターリンが東シベリアへ流刑、翌年脱獄して故郷ジョージアに帰郷。

1905年 ロシア第1革命終了、ストライキ終了。バクー油田の油井の3分の2が破壊され輸出に大打撃を受けた。

2分45秒あたりからスターリン登場

1920年ソビエト赤軍に占領され、1922~1991までソ連の一部、もしくは共和国として存在。

1942年第2次世界大戦時にはヒトラーがバクー油田を狙いコーカサス山脈まで進出したが失敗(ブラウ作戦)、

 バクー油田はソ連の石油供給を担い勝利に貢献した。

1949年カスピ海地下1100mで石油が発見され世界初の海上石油プラットフォームが建設される。

 世界初石油タンカーも!

1960年代 陸上油田は枯渇する一方で 

*Neft Daşlar【オイルロックスとして知られる海上油田都市】では

Neft Daşlar2

 

 

 

 

 

1958年から1978年まで大規模建設が続き、

9階建て宿舎、ホテル、文化宮殿、食品工場、飲料水施設等が設置された。

最終的に人工島を結ぶ鉄橋の長さは300キロに及んだ。(約2000の掘削プラットフォーム)

2005年 BTCパイプライン(アゼルバイジャン、ジョージア、トルコを結ぶパイプライン)完成。

BTCパイプライン アゼルバイジャンカスピ海天然ガス

 

 

 

 

石油輸出の75~80%を占め供給量は日量120万バレルで世界全体の1%以上。

2008年 新な油田発見と老朽化でNeft Daşlarは衰退、1時期5000人いた労働者は2000人まで減少。

バクー油田ストライキが ”スターリン独裁” の恐ろしい歴史に繋がっている?

グルジア人のスターリンがバクー油田にいたのは、

彼が革命前のロシア帝国時代に地下活動家として活動していたため。

当時、バクー油田はロシア帝国の重要な産業であり、労働者階級の中で革命の思想が広まっていました。

スターリンはバクーで地下出版物の印刷や革命活動に関与していたとされています。

1903年、バクー油田で労働者が大規模なストライキを起こしました。

煽動したとされるスターリンは当時25歳。

これは、ソビエト政府が石油産業を国有化し、労働者の労働条件を悪化させたことに反発した結果でした。

このストライキは激しい抑圧によって鎮圧されましたが、スターリンはこの事件を通じて

労働者運動の重要性を認識し、その後の政治的戦略を学ぶことになります

 

 

 

 

 

 

投獄経験がスターリンに与えた影響

1. **レーニン主義への熱心な帰結**:

スターリンはトビリシで投獄された2年間(1908/3~1910/3)に

レーニン主義やマルクス主義に深く没頭し、この経験は彼の思想的基盤を強化し、

この経験は後ソビエト連邦の指導者としての道を歩む上で重要な基盤となった

2. **政治的権力への渇望と冷酷さの増大**:

投獄経験は彼の政治的な不信感や警戒心を助長

政敵に対する容赦のない姿勢を強め、後に行われる政治的粛清や大量虐殺の一因となった。

3. **革命家としての自己観の形成**:

投獄中、革命家としてのアイデンティティを再確立し

後にボリシェヴィキ党の中心的指導者としての地位確立の基盤となった。

PPArts / Pixabay

「石油産業労働者の間で3年革命の仕事に携わったことが、

私に実践的な闘争方法を身につけさせ、地方の労働運動指導者として鍛えてくれた。」

「私は労働者の大群を率いることがどういうことかバクーで見出した。

私はバクーで2回目の洗礼を受け、それから一人前の革命家になったのである。」

by ヨシフ・スターリン(1920)

純粋にロシア帝国の圧政から労働者を解放するだけならその功績も称えられますが

後の大粛清や少数民族の強制移住などに繋がってしまったことは残念です”(-“”-)”

BTCパイプラインの抱える問題点

BTC-パイプライン

1)地政学的リスク:ジョージアからトルコに至る道は過去に紛争があったり今でも政治的緊張が残る地域。

  政治的に問題が起こるとその影響を受けやすい。

2)安全問題:世界情勢が不安定で欧州各国がアゼルバイジャンの石油に頼っている中、

  テロやサイバー攻撃の標的になる恐れもある。

3)環境への影響:パイプラインが通過する地域では生態系や水源地の汚染が懸念されている。

4)地域経済と社会への影響:一部の地域ではインフラ設備や雇用増加が期待できるが

 土地利用や伝統的生活様式に変化をもたらす可能性がある。

他には

●アゼルバイジャン活動家の監視、●トルコでの人権擁護活動家への拷問疑惑

●ジョージア村民の平和的デモを解散させるための警察力強化

●地元建設労働者の低賃金と国際労働機関基準違反、●各コミュニティの補償未払い、●土地補償プロセス中の汚職事件

●環境被害の恐れのあるひび割れたパイプの発見、その他不正行為が報告されているそうです。

今後の世界情勢にも影響が出る資源取引

現在のアゼルバイジャンの主要先湯販売国として挙げられるのは

イタリア、スペイン、フランス、イスラエル、トルコ。

アゼルバイジャンはイスラム教の国としてトルコと仲が良いのはわかります。

ですがユダヤ教の国イスラエルと取引???

現在パレスチナと戦争しているイスラエルに燃料を輸出しているということは

間接的にイスラエルを支援、パレスチナ侵攻を容認しているということ!

イスラム教徒のパレスチナを応援しないで、イスラエル支援とは何か矛盾を感じます。

実はナゴルノ・カラバフ戦争で軍備強化をしていたアゼルバイジャンは

イスラエルからドローンや軍事装備を供給され

アゼルバイジャン側はイスラエルにエネルギーを供給し水資源管理分野でも協力している関係

外交関係は良好なのです。

(イスラエルとイランは犬猿の仲、そのイランと関係が悪いアゼルバイジャン、イランを嫌う同士タッグを組んでる??)

 

とは言うものの、トルコとイスラエルとの関係も悪い……

アゼルバイジャンは自国の利益を第1優先にしながらも

バランス外交をして世界から批判されないようにしているのが今の状況みたいです。

第3次世界大戦の可能性も囁かれる中、今後どうなるのか、注目したいところです。

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如何でしたか?

今回は石油資源の話からアゼルバイジャンの近代史や現在の外交関係にまで話が飛んでしまいました。

しかしながら旅をする上でこの様なことを知っていると見えてくる景色も変わってくるし

些細なことからこの国について気づくことができると思うのです。

皆さんの参考になれば嬉しいです。

最後までご覧くださりありがとうございました。

 

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ヤナルダグ1