アゼルバイジャン バクー発日帰りツアー2(火の寺院:アテシュガー)

火の寺院 昔の様子再現

火の寺院(Ateshgah)とは

アタシュガ 火の寺院

バクーから北東に約30km、アプシェロン半島のスラハ二村郊外にある

ヒンズー教、シーク教、ゾロアスター教の礼拝所として使われていた複合施設

日本ではゾロアスター教(拝火教)寺院として紹介されています。

17世紀に建てられた(地元の記録では1722年ロシア・ペルシャ戦争後ロシアがバクーを併合した頃に

ヒンズー教コミュニティによって建てられたという。)

という寺院は18世紀に栄えましたが、その後シルクロードの重要性が徐々に失われ、

インドとの貿易が減少しインド人人口も減少、パトロンを失い衰退。

*当時インドパンジャブ・ムルターン地方=現在のパキスタンのインド商人

この地方の商業経済を支配していた。カスピ海の船建造にも関わっていた。

又、後に石油・ガス産業が興ったことから1883年礼拝所として使用されなくなりました。

石油産業が興った頃 かつての火の寺院

 

 

 

 

 

五角形の城壁部分は僧房の小部屋が連なっていて中庭には祭壇があり、

この複合施設は1975年から博物館になっています。(1998年世界遺産登録

かつて自然発火で燃えていた永遠の炎

現在では近隣都市からパイプで運ばれたガスで灯されているそうです。

実際に訪れてみると

キャラバンサライ

チケットを購入する場所は土産物屋が並ぶ超長い建物。

後で聞くとそこはキャラバン・サライ(隊商宿)だったそうで、

この規模を見ただけで昔は交易でかなり栄えていたことが伺われます。

城壁の中に入ると一番に目に入ってくるのが中庭の祭壇

永遠の火と呼ばれる炎が煌々と輝いていました。

皆思い思いに見つめたり、手をかざしたり、ガイドの説明に聞き入ったり。

永遠の火

残念ながら私にはガイドの話はあまり理解できていませんでした。

ガイドは英語はそれほど流暢ではなく多分イラン語の方ができる人、

私の方も中東やインドの歴史が完全に頭に入っているわけでなく歴史上の英語固有名詞も知らないので

多分こんなことを話してるのかな、くらいで( ;∀;)

もともと日本の情報にはゾロアスター教寺院としてしか書かれていなかったので

その後の僧房内の展示物等を見ていろいろ違和感がありました。

ゾロアスター教徒の纏う白の衣装の展示やアフラマズダの織物はあるけど

なぜここにインドのシヴァ神やガネーシャ神がいるのか????

そして決定的なのはこのツアー参加者の半数以上がインド人!!!!

永遠の火に手をかざすインド人 熱心に話を聞くインド人たち

 

 

 

 

インド観光客多数!

 

この地がイスラム教化されてから迫害されたゾロアスター教徒がインド(クジャラート地方)に逃げ、

そこで新たなコミュニティを作りパールシーと呼ばれる人々になった、という歴史は知っていて

そのパールシー関係の人が礼拝しに来ているのかな?なんて思っていましたが

彼らは普通にヒンズー教徒っぽかったのも不思議に感じていました。

謎は解けた?

私はどこにあったのか見つけることはできなかったのですが

このアタシュガには碑文があり

「私はヒンズー教の神ガネーシャを崇敬します。聖なる火を崇敬します。(1745年)

と記してあるそうです。又サンスクリット語でシヴァ神への祈りの言葉もあるとか。

ですが、17世紀にインドの火の寺院として建設される前、

地元の人々も「燃える炎の7つの穴」があるためにこの場所で礼拝していたという説もあるそうです。

イスラム教(アラブ人)が入ってくる前、この地はペルシャであり

ゾロアスター教(拝火教)が広く信仰されていたのだから、

古代から聖地とされていたとしてもおかしくないと思われます

僧房のガネーシャ シヴァ伸

 

 

 

 

 

 

あるヒンズー教徒であるインド人の文献によると以下の様に記述されており

この通りではないかと思いました。

中庭の中央の建物のデザインは中世ペルシャのゾロアスター教寺院と一致している。

ヒンズー教寺院として使用される前に(ゾロアスター教の火の神殿であった)

前身の建物が存在していた可能性が高い

ゾロアスター教コミュニティの衰退に伴って放棄された建造物は

成長を続けるヒンズー教コミュニティによって占拠され使用される候補となった。

現在の建物は以前のゾロアスター教の建造物をモデルにしている、

あるいはゾロアスター教のアシュテガーの廃墟の上に建てられたか

アシュテガーを改築したものである可能性がある。

今日でも地元の伝承ではゾロアスターのアシュテガー(火の寺院)であったとされている。

ゾロアスター教もヒンズー教も 元は皆一緒

遠い昔、イラン人(ペルシャ人)とインド人は一つの民族でした。

彼らは印欧語族の一枝族で

南ロシアのステップ地帯で牧畜をしていたと考えられています。

紀元前4000年~前3000年までに強力な宗教的伝統を作り上げたとみられて

インドへ南下していった集団(インド・アーリア人)がバラモン教

イランへ下っていった集団(イラン・アーリア人)がゾロアスター教を興しました。

アーリア人の移動

 

バラモン教善悪二元論。神はデーヴァ、悪神はアスラ。

 ヒンズー教、仏教が影響を受けた。

 又、ヒンズー教とイスラム教の宥和を目指したのがシーク教

ゾロアスター教(←マズダ教の多数派である)善悪二元論と終末論

 善神がアフラ・マズダ悪神はダエーワ。善神は光、光の象徴は「火」

 ユダヤ教、原始キリスト教が影響を受けた。

 ゾロアスター教徒はウマイヤ朝以後イスラム教徒から迫害を受け世界各地に離散。インドではパールシーとなった。

と、この様に世界最古の宗教から分かれていったとわかります。

太古の時代には自然を崇拝、火は神聖なものと見做されていたので

アテシュガーの火の寺院に色んな宗教の人が出入りして礼拝していたのには納得できます。(記録にも残されている)

結論として、このアシュテガーはゾロアスター寺院としてとらえるのではなく

「火の寺院」、各宗教の人が神聖なる火を礼拝していた場所と思って訪れるのがいいかと考えます。

聖なる火

因みにヒンズー教では火の神:アグニ神は主流の神様ではなく重要な儀式の際にその恩恵を受けるために

呼び出される神様だそうで、家庭の炉番として崇拝されているとのこと。人間と天界の神々の伝達者。

この日に参加していた若い夫婦によると彼らは結婚式の時に男性は左回り?女性は右回り?とにかく

それぞれが火の回りを7回ずつ回る儀式を行ったそうです。興味深い(#^.^#)

アクセス

Atashgah Zoroastrian Fire Temple

入場料9マナト、ヤナルタグとのコンボ15マナト(約1450円) 10:00~19:00(無休)

動画

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いかがでしたか?
引き続きヤナルダグの記事もご覧くださいね!
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アタシュガ 火の寺院