サラエボからモスタル バス移動は結構大変??+ モスタル 戦争とジェノサイド犠牲者博物館

スタリモスト 下から

2024年12月末現在の情報です。モスタルへのバス移動が主な内容なので、

モスタル観光スポット詳細やグルメ情報を知りたい方は他の人のブログで多数あるとおもいますのでそちらを参考になさって下さい。

サラエボからモスタルへ バス移動

今回のバルカン半島の旅では全てバス移動で、チケットは事前にネットで予約していたのですが

モスタル行だけは予約していませんでした。

なぜなら2024年10月にモスタル近郊で大雨による洪水が発生し大規模な被害が報告されていたから。

 モスタル近郊大洪水

前日には交通に問題はない、とわかりネットで予約しようとしたのですが

滞在先のネット環境が悪く接続不安定だったのでチケットは駅で購入することにしました。

サラエボバスターミナルへ

サラエボには2つ大きなバスターミナルがありますが、

モスタルはボスニア・ヘルツェゴビナ連邦内にあるので

鉄道駅近くのバスターミナルを利用します。

まずは旧市街バシチャルシャからトラム3番に乗って

バスターミナル近くの駅:Muzej で下車

先頭車両から乗車し、運転手に現金1.8マルカを支払います。

するとQRコードつきのレシートをくれるのでそれでOK。

車内にはタッチするような機械や古い車両ではパンチするような機械もありますが

何もしなくてかまいません。

そこから徒歩で1㎞弱、10分ほどでバスターターミナルに到着。

トラムチケット

トラム車内 トラム駅からターミナルまで

サラエボバスターミナル

ターミナルのチケット売り場で行先と乗りたいバスの時間を告げます。

(左はモスタル行、右はサラエボ行)

モスタル行時刻表 バス時刻表帰り

事前にサイトから乗りたいバスの時間を確認しておいてもいいでしょう。Get by bus

(今回は9時発を購入、帰りは迷って結局18時15分発にしました)

片道28マルカ、カード決済可で往復チケットも購入できます。

帰りの時間も決まっている人は往復購入がおススメ。

モスタル東ターミナルでは現金しかダメで、

しかも近くにATMがなく、現金の手持ちが少ない人は不便です。

サラエボバスターミナルチケット売り場

ターミナル内にはコンビニのような店が1件、カフェが2件あり、

有料トイレ(1BAM)もありました。

乗車はカオス!( ゚Д゚)

モスタル行のバス

チケットもあるし直前にホームに行けばいいかとのんびりお茶をしていたのですが…

10分前にはホームには人だかりが。良い席を確保したいので急いで並び乗車しました。(大型バス)

窓側のいい席がゲットできて座っていると何やら前の席の人が揉めています。

既に座っている人のところにおばさんが「ここは私の席だから!」と

チケットを見せて騒いでいます。

え??座席指定あるの?チケットを購入した時、ホームの番号しか教えてもらっていません。

前の人も困惑していましたが、おばさんは運転手に抗議し

運転手もおばさんの要求にこたえるよう言いました。

そこからがカオス!!

どかされた人が私の席に来て、席を変われとチケットの席番を見せます。

荷物棚を見ても席の番号はなく、困惑。

チケットの番号から大体このあたりが自分の席と思うところに移って席を変わるよう

言ってもそこに座る中国人は「窓口ではどこに座ってもいいと言われた!」との主張。

それで席を変わった女性にどこに席番があるの?と聞いたらなんと、

シートベルトのところに書いてあるではありませんか!!

バスチケット

バスの席番Sjedisteが席番!Peronはホームの番号

ようやく自分の正しい座席に行ってもすでにそこには家族連れが座っている。

事情を話して変わってもらったものの、こんどその人はどこへ行けばいいのやら。

座席後方は自由に座ってる人で既に満席!見て見ぬふりで席を変更するつもりはなし。

そんな中、全員着席してないのにバスは定刻に動き出す・・((*_*;

運転手は我関せず(( `ー´)ノ

そして最悪なのはキャパ以上にチケット販売がされているようで立ち席の人が5.6名。

2時間半も立ちっぱなし?????

バスの車内

バスは直通高速バスではなく、

地元民の足でもあるみたいで

バス停のないところでも道端で止まって

乗降車させている。

 

私はというと、結局先に座っていた女性が行き場を失って

2人掛けの場所に3人で座るという羽目に。窮屈で仕方ない(”(-“”-)”

あとから判明したのですが、

ネット予約の人は座席指定ができない仕組みから当日自由に座るしかない。

しかし、ターミナルで窓口購入した人は座席指定になってるから

このような混乱が起こる。しかも定員数以上のチケットを販売してるから大問題!

結局もずっともみくちゃのまま、2時間半を過ごしました。

途中の様子

サラエボからモスタルに行くには山越えすることになります。

谷底に川が流れ、これま何度も大雨で洪水になったことがあったそうです。

今回の大洪水から2か月。道路は通っていましたが、まだ被害に遭った家など復旧の途中でした。

現地の人の話によると復旧はなかなか進んでなくて、政府の支援はなく

自腹でなんとかしないといけないそうです。

政府の立場は「直してもどうせまた洪水で壊れるんだろうから無駄」という言い分。

(1995年、2000年、2023年、2024年と大規模な洪水が起きたので行く前に災害が発生してないか要チェック!)

これが本当なら酷い話です。政府が災害復興の支援しない態度はどこかの国と同じですね!

モスタルへの道モスタルへの道2

眼前に迫りくる岩山と豊かな水をたたえた川を横目に山を越えると急に光がさしてきて

天候が変わったことが実感できました。

サラエボでは雪で震えていたのに、モスタル近くは暖かい!

モスタル東バスターミナル

モスタル東バスターミナル

モスタルにも2つバスターミナルがあります。ボシュニャク人が多い地区にある東ターミナル

クロアチア人が多い地区にある西ターミナル到着は東バスターミナルです。

帰りのチケットがない場合、下車して目の前のところにチケット売り場があるので

前もって購入しておくといいでしょう。(現金のみ)

チケット売り場前 写真右手がチケット売り場。窓口1つ。おばさん愛想悪い。

ここのバスターミナルにはゲート入場前にカフェ1件、

ゲートをくぐってからホームの所にカフェ2件、有料トイレがありました。

有料トイレは無人。1BAM硬貨のみ受付です。

尚、ホームの入口と出口は異なるので、帰りの便に乗車する際は

チケット売り場の前を通過してそこからホームに入ります。

帰途の様子はこの記事の最後に記しますね。

旧市街へ

旧市街への道のり

*Googleマップでは青点のルート(ターミナル駐車場から出る)を勧めますが

駐車場から人は出ることができないので正しい出口から行く黄色のルートをおすすめします。

旧市街からスタリ・モストまで、徒歩で約20分

もう少し近いのかと思っていましたが結構歩いたかも。

ターミナル近くは大き目のスーパーやレストラン等の店舗が並んでいて

途中から旧市街に入っていきます。

オスマン帝国時代の雰囲気がプンプンしている石畳の街並みで

お土産やお菓子もオスマン調です。

旧市街

途中にモスクがあります。モスクそのものは決して見ごたえがあるものではありませんが

入館料を支払うと川を見下ろす展望所みたいなところがあるので

静かにゆっくりスタリ・モストの写真を撮影してい人にはお勧めです。10マルカ(カード可)

スタリ・モスト

スタリモスト2

写真右側のところから川に降りる階段があり、そこが下から橋を見上げる撮影スポットになっている。(人が沢山いる場所)

スターリ・モスト(Stari Most, 古い橋)は、歴史的な石橋で、街の象徴的な存在。

建設は1557年〜1566年、オスマン帝国時代に建設され、スレイマン1世の命により

ミマール・ハイレッティン(有名な建築家ドリナの橋でお馴染みのミマール・スィナンの弟子)が設計しました。

ネレトヴァ川に架かるシングルアーチ型の橋で、

長さ約29m、高さ約24m。オスマン帝国時代の建築技術の傑作とされています。

1993年のボスニア紛争でクロアチア軍によって破壊されましたが、

2004年にユネスコの支援を受けて復元されました。世界遺産(2005年登録)

地元の若者が橋の上からネレトヴァ川へ飛び込む

橋ダイブ(ブリッジ・ダイビング)」も有名で、毎年大会が開催されています。

遠くから見ていると長い橋に感じましたが実際渡るとあっという間。

橋の東岸にスタリモスト博物館がありますが、事前情報通り冬期は閉館で残念。

西側に渡ったハマム博物館も改修中で見ることできず。

Kajtaz Houseというオスマン風の家を見学できる博物館にも足を延ばしましたが

その時は営業中となっていたのに閉まっていました(涙)現在臨時休業とのこと。

モスタルは夏に行きましょう!!

戦争とジェノサイド犠牲者の博物館

戦争博物館

モスタルに来た甲斐があったと思えたのがこの戦争博物館

2階建ての博物館でここに2時間ほどいました。18.3マルカ(クレカ可)

ボスニア紛争とモスタル

1992年紛争当初は、ボシュニャク人とクロアチア人は同盟を組み、セルビア人勢力と戦っていました。

しかし、1993年にクロアチア側がボシュニャク人勢力を排除し、モスタルを自分たちの支配下に置き

「ヘルツェグ=ボスナ」の独立を目指したことで対立し、モスタルは戦場となりました。

クロアチア軍(HVO)がボシュニャク人を攻撃し、

多くのボシュニャク人がモスタル西部(クロアチア人地域)から追放され、

モスタルはネレトヴァ川を境に「東=ボシュニャク人地区」と「西=クロアチア人地区」に分断され

スターリ・モストもこの戦闘で破壊されたのです。

1994年の「ワシントン合意」で両者は停戦し、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦を形成しましたが、

現在でもモスタルは「東=ボシュニャク人地区」「西=クロアチア人地区」に分かれており、

学校や政治機関なども民族ごとに分断された状態です。

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ある日、国のトップが隣の領土を手に入れると宣言しただけで

民族を超えてうまく共存していた生活が一瞬で消えてしまうなんて、やり切れないです。

犠牲になるのは悪いことをしていない民間人。

モスタル戦況図

川を挟んで右がボシュニャク人勢力、左がクロアチア勢力。中央あたりの黄色横線がスタリモスト。

 

東岸の銃痕が残る建物

東ターミナルから旧市街に行く道沿いには銃痕が残る家が多数あります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スタリモスト破壊写真

博物館には強制収容所での拷問道具や

突然誘拐され戻ってこなかった人の財布や身分証の遺品

様々なものが展示されています。

戦争博物館1 戦争博物館2

 

 

 

 

 

展示品だけでなく

映像がいろいろあってそれを観ていたら時間が経ってしまいました。まずは

笑いながら楽しそうにスタリ・モストを爆破するクロアチア人兵士の音声入り映像!

何百年も守られてきた貴重な建築物を自分が破壊するということに一抹の罪悪感もないところが恐ろしい……

破壊映像

 

当時の街並み、YouTubeから↑

 

 

 

他にも

●怯え切ったボシュニャク人の少年達に笑いながら銃を突きつけるクロアチア兵士達の様子

●戦犯たちの裁判での様子

サラエボ包囲の時にいかに人々は生き抜いたかの証言

 例えば空き地で野菜栽培をしたり、市場で物々交換をしたりした話。

 病院では窓側が一番危険なので重病人は部屋の内側に寝かせた話。

 スナイパー通りを渡る時は国連の甲装車に隠れて猛ダッシュで渡った話。

 小学校では気持ちを前向きに保つために歌を歌い、イベントをして過ごしたりした話。

証言ビデオ

数々の世界からの平和のメッセージの中に浮かぶサラエボ包囲の証言ビデオ

そして一番衝撃的だった映像

虐殺された人々の遺体が投げ込まれた穴をブルドーザーで掘り起こして

一体一体ずつ丁寧に布に巻いて回収している様子。

半分腐っていて半分白骨化。衣服もまだそのまま。

無造作に投げ込まれたのでそれぞれが変な姿のまま固まっている。

生き残った人たちが同胞のそんな遺体を回収するときの気持ちを

想像しただけでもいたたまれなくなりました。

それが一人や二人でなく、何百体も、山のような遺体・・

普段遺体を見慣れていないので異常な状態の遺体の様子に気分が悪くなりました。

展示物や写真資料も沢山あって当時の状況の理解に役立ちますが

やはり物より映像は訴え抱える力が違うな、と感じました。

犠牲者の写真

展示写真の中には妊娠中の女性が胎児と一緒に半分白骨化した遺体があって

それが一体でなく複数あったことに戦慄を覚えました。

この他にも10日で6000人以上のボシュニャク人男性が殺された

スレブレニツァ大虐殺の資料もありました。

NATOが軍事介入するきっかけになった事件でもあります。

尚、この博物館ではボシュニャク人の被害が展示されていましたが

1993年ボシュニャク人武装勢力によるクロアチア人市民に対する攻撃(トラブリツァの虐殺)

をはじめ、他にもクロアチア人地域でのセルビア人による攻撃や虐殺もあったそうです。

暴力や殺害、故郷からの強制移住、家屋やインフラの破壊、人権侵害などなど・・

複雑な歴史から一方的にどの民族が悪いと決めつけられないのが実情のようです。

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スレブレニツァの虐殺の成り行き、国連の無能さがよくわかる映画です。↓

主演の女優さんはセルビア人とのこと。相当な覚悟でボシュニャク人を演じられたと思います。

又、エキストラの群衆は当時虐殺を経験した人やその家族。

ロケはモスタル郊外で行われたと聞いています。

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帰りのバス

18時すぎのバスでサラエボに戻りました。

帰りのバスもほぼ満席でしたが観光客ばかりだったので

座席で揉めることもなく、皆自由に好きな席に座っていました。

朝の揉め事は何だったんだろう???今日だけの話だったのか???

とにかくこれからこの路線のバスを利用する方は念のため指定された座席に座るか

ネット予約の人はバスの後方に座ることをお勧めします。(苦笑)

 

さて、サラエボ市内に入ったらバスターミナルまで戻る必要はありません。

私も知らなかったのですが、インターから降りたあたりでトラム3番の停留所があるのです。

爆睡していると誰かが「バシチャルシャ!」と言っているので

とにかく観光客は旧市街に行くはずと思い、一緒に下車しました。

下車する場所

 

下車する場所

 

 

 

 

 

 

降りた場所はトラムの停留所前。

そのまま40分ほど乗っていたら終点がバシチャルシャ。楽ちん!

バスターミナルまで戻っていたら寒い夜道を歩くことになっていたのでラッキー!

皆さんも周りの人の動向を見てタイミングよく下車してくださいね。

モスタルに行くにはツアーもおススメ

ここまで読んで下さった方なら自力で日帰りバス移動はちょっと面倒だと

お分かりになると思います。

今回オフシーズン、滝に行っても寒いだけと思い、ツアー参加は見送ったのですが

ハイシーズンなら日帰りツアーも悪くないと思います。

自分で行くと往復のバスチケットとトラム代で約5300円

ツアーはどこの会社も似たような内容で、

ヘルツェゴビナの観光名所+モスタルを巡って12時間 1~1.2万円。

Konjicの旧市街、第二次世界大戦の戦いで有名な橋がある小さな村Jablanica、

ネレトヴァ川渓谷トゥファ・カスケード、クラビカ滝。

オスマン帝国時代の要塞の村、ポシテルジュ。

ブナ川のBlagaj Tekke、またはDervish修道院。  モスタル旧市街。

モスタルは正直、橋以外は見るところは多くなく、丸1日かけて行くほどではないと思いました。

旧市街でブラブラお茶したり土産物屋をみて終わりな感じ。

ハイシーズンは人込みが凄いと聞きます。

私のようにじっくり博物館を見学したいとかがなければ

ツアーならバスの時間を気にすることもなく、沢山のスポットに行けるのでお得かと思います。

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