
モンテネグロはEU加盟を目指しながら観光業を中心に経済を成長させています。(GDPの25%を占める)
その他産業にはエネルギー、農漁業、不動産開発もありますが、観光立国と言えるでしょう。
私が肌で感じたように首都ポドゴリツァよりアドリア海側の方がかなり発展繁栄しているので
観光中心に回っているというのは納得できます。
そんなアドリア海沿岸の世界遺産の町:コトルに行ってきました。
目次
世界遺産の町 コトルとは(沿岸部 コトルの歴史)

falco / Pixabay
古代(ローマ時代以前)
紀元前3世紀ごろ、イリュリア人が最初にこの地に定住。
紀元168年、ローマ帝国がこの地域を征服したがローマ帝国が東西に分裂すると、
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の支配下に入る(395年)。
中世(ビザンツ・セルビア・ヴェネツィア時代)
535年:ビザンツ帝国のユスティニアヌス1世が、スラヴ人やアヴァール人の侵攻から守るため要塞を建設。
1185年:セルビア王国(ネマニッチ朝)がコトルを支配し、商業と文化が発展。
1420年:ヴェネツィア共和国の統治下に入り、要塞都市として発展(1797年まで統治)。
モンテネグロは沿岸部と山岳部に分かれていて、山岳部は
1496年:オスマン帝国の支配下に入るが
モンテネグロの山岳地帯は地形的に支配が難しく、完全なオスマン帝国の支配下にはならず、一部自治が認められた。
ツェティニェ(旧首都)を中心とした正教会の指導者(主教公)が自治的な統治を行い、反オスマン闘争を続けた。
近代(オーストリア・フランス・ユーゴスラビア時代)
1797年:ナポレオンのフランス軍が占領(1805年〜1814年)。ヴェネツィア領だったコトル湾周辺とダルマチア沿岸であり、モンテネグロ全体ではない。
1815年:ウィーン会議によりオーストリア帝国の領土となる。
露土戦争(1877-1878)モンテネグロもロシアの支援を受けてオスマン帝国と戦い、領土を拡大。
ベルリン会議(1878年)で、モンテネグロの独立が国際的に正式承認された。
1910年にはモンテネグロ王国となり、正式に王制を確立。
1918年:オーストリア=ハンガリー帝国崩壊後、
セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(後のユーゴスラビア)に編入。
1941年:第二次世界大戦中、イタリア王国が占領。
1945年:ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一部に。
現代(モンテネグロ独立後)
1991年:ユーゴスラビア崩壊後、セルビア・モンテネグロ連邦の一部に。
2006年:モンテネグロが独立し、コトルは独立国家の一都市となる。
1979年:コトル旧市街がユネスコ世界遺産に登録。

コトル 観光スポット
大聖堂(聖トリプン大聖堂 / Katedrala Svetog Tripuna)カトリック

9世紀聖トリプンを祀る最初の教会が建てられ、1166年に現在の大聖堂が完成しました。
1667年大地震により鐘楼が崩壊。バロック様式で再建されましたが、1979年再び大地震で損傷を受け修復。

大理石でなくレンガの柱は大地震の跡を思わせる。
コトル旧市街の一番目立つ存在で象徴ともいえる
2つの鐘楼(オリジナルは崩壊し、一部バロック様式で再建)が目を引きます。
内部はロマネスク様式の装飾、フレスコ画、金細工などがあり
2階の展示室(有料:4€)には聖遺物、コトルの守護聖人「聖トリプン」の遺骨を収めた祭壇等があります。
展示品も多めで2階まで上がれる聖堂は少ないのでゆっくり見学されてはいかがでしょうか?




コトル大聖堂 バルコニーからの眺め
大聖堂以外にも旧市街にはかつてヴェネツィア共和国(カトリック)と
セルビア王国(正教会)の影響を受けたので
カトリック教会と正教会の両方の聖堂が計10以上もあります。(モスクはなし)
今回年末でオフシーズンだからか、入館できないところもありました。以下有名なもの。
カトリック教会
●聖クララ教会(Crkva Svete Klare)2024年12月末(閉館状態)
14世紀建築。フランシスコ会の修道院に属する。
バロック様式の祭壇や、貴重な宗教書が保存されている。
●聖ミハエル教会(Crkva Svetog Mihaila)2024年12月末(閉館状態)
12世紀建築。ロマネスク様式の小さな教会。かつて修道院の一部だった。
正教会(オーソドックス)の教会
●聖ニコラス教会(Crkva Svetog Nikole)
1909年建築(旧教会跡に再建)。コトル旧市街で最大の正教会。(無料)
セルビア正教会の拠点で、ビザンティン様式の内部装飾や美しいイコンが特徴。
(撮影禁止)
●聖ルカ教会(Crkva Svetog Luke)2024年12月末(閉館状態)
1195年建築。カトリック教会として建設されたが、1657年以降は正教会に。
内部には東方正教会のイコンが多数あり、ローマ・ビザンツ様式が融合した独特の建築。
●聖母マリア教会(Crkva Gospe od Zdravlja)
15世紀建築。コトルの山腹に位置し、地元の人々が疫病から守ってくれると信じる巡礼地。
廃墟化していてあまりお世話されていない感じでした。
海洋博物館(Maritime Museum of Kotor)

建物自体が17世紀のバロック様式の宮殿(グルベタ宮殿 / Grgurina Palace)を利用していて
コトルとモンテネグロの海洋史、航海文化に関わる展示がされています。(入館料6€)
- 14世紀から19世紀にかけてのコトルの海運業の発展、ヴェネツィア共和国時代(1420-1797)の航海図や交易記録
- コンパス、六分儀、望遠鏡などの航海機器、大砲、剣、ピストルなどの武器(海賊や戦争の歴史)
- 18〜19世紀のモンテネグロ海軍の歴史。かつての帆船や戦艦の模型
- 船乗りたちの日常生活の品々(衣服、航海日誌、家具)、伝統的なモンテネグロの船乗りの制服や勲章
- フランス支配時代(1805-1814)のコトル湾の戦略的重要性を示す資料
この博物館を訪れてようやくヴェネチアと縁が深くいかに影響を受けていたのか、
町の雰囲気がバルカン半島なのにオスマン帝国の面影がなぜほとんどないのか、
海洋貿易で富を相当蓄えていたこと等、が理解できました。
標高1749mロブツェン山からの眺め

山並みに沿って要塞が残っています。山上には城跡もあるみたいです。
かなり山道を登っていかないといけない、特に見るものはないのに入場料が必要(15€)なので
私は途中の聖母マリア教会まででギブアップしました。(( *´艸`)

季節によって営業時間が異なる
ある人のブログによると早朝に行けば徴収人がまだ来てないので無料だとか。
教会はちょうど中間地点にあるのですがそれでも良い眺めを堪能できました。



海からの眺め


今回12月のオフシーズンで多くのツアーの出発がありませんでしたが
ハイシーズンでは港周航クルーズや青の洞窟へ行くツアーが催行されているようです。
希望者は予約なしでも港のあたりをブラブラしていると呼び込みの人が声をかけてくるので大丈夫。
猫の街 コトル

トルコやバルカン半島ではよく猫を見かけます。
そして人と共存しているというか大切にされているようにも見えます。
このコトルでは猫が街中にいて大変人懐こいです!可愛い♡
猫愛を感じるのは猫のモチーフのお土産がたくさんあるし
他には自動販売機ならぬ「餌のリサイクルマート」があったりします。
使用済みペットボトルを投入すると猫ちゃんの餌と水がでてくる機械。
(日本では野良猫に餌はご法度みたいな雰囲気があるので実現化は難しいかも。)
近づいても逃げないし、なんなら「撫でて~」とあちらからスリスリしてきます。

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スーパーマーケット(ショッピングモール内)

コトルは有名観光地だけあって飲食は高めです。
旧市街のレストラン、味はいまいちなのに結構いい値段を取られました。
それと旧市街の中には小さな雑貨屋さんしかなく、スーパーはありません。
大きなスーパーはバスターミナルからの途中か、
旧市街から橋を渡った先にあるショッピングモール(Kamelija)の中になります。
又、夜は旧市街の外に屋台の様なお店がいくつも並んで軽食を売っていました。

因みにスーパーでの物価はこんな感じ。↓

税金は3種類あるみたいで21%、7%、付加価値税。
商品は内税みたいです。
お酒を飲まないので高いか安いかはわかりませんが
チョコレートは他のものに比べて高め。(右のチョコは割引後価格)
夜の顔

コトルを訪れるなら夜も見逃さないようにしたいものです!
昼間とは全く違った雰囲気。1訪問で2度楽しめる旧市街(*’▽’)
クリスマス直後だったので季節のイルミネーションがキラキラでラッキーでした。
年末年始は営業していない施設も多くあって残念に思うこともあったのですが
昼間の喧噪を離れて誰もいない石畳の街を散策するのはロマンチックでおススメです!



動画 昼のコトル/夜のコトル/モールのスーパーの様子