
*私が訪れたスポットのご紹介で、2024年12月の情報です。
夏期と冬期で営業時間が異なるので行くシーズンにあわせてグーグルマップ等でご確認下さい。
サラエボでの観光客の行動範囲は限られると思いますが、旧市庁舎(バシチャルシャ)からスナイパー通りの国立博物館あたりまで
徒歩で移動は可能です。歩くのが嫌いな私でもブラブラ観光しながら歩いていたらいつの間にか到着していました。
目次
1)旧市庁舎

特に期待していなかったスポットですが、写真撮影にイシオシの場所。
人が混む時間に行くと全体の写真が撮りづらいので開館直後か閉館間際に行くのがおススメ。
この建物は、1894年オーストリア=ハンガリー帝国統治時代にサラエボの行政の中心として建設され、
当時のオスマン帝国の影響を反映したネオ・ムーア様式
(モロッコやアンダルシアのイスラム建築の影響を受けたデザイン)が採用されました。
内部には美しい装飾が施され、サラエボの象徴的な建築物の一つとなりました。


ですが長い歴史の中で二度にわたって焼かれ深刻な被害を受けました。
一度目は
1941年、第二次世界大戦中にナチス・ドイツとその同盟国のユーゴスラビア侵攻により、
サラエボは占領されました。
この時、旧市庁舎(当時は国立図書館として使用)で内側から火災が発生しました。
被害は限定的で、建物自体は大きく損壊することなく、その後も使用され続けました。
二度目は
1992年8月25日から26日にかけて、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の際に、
セルビア人勢力(ユーゴスラビア人民軍およびボスニア・セルビア軍)による砲撃を受け、
甚大な被害を受けました。
燃焼性のある砲弾(焼夷弾)が使用され、建物の内部が激しく炎上しました。
特に、国立図書館に所蔵されていた約200万冊の貴重な書籍、手書きの文献、
オスマン帝国時代やオーストリア=ハンガリー帝国時代の重要な記録がほぼ全焼。
この被害は、サラエボ文化遺産にとって計り知れない損失となりました。
この時は外部からの砲撃によるものであり、これが「2度目の火災」に該当します。
その後2014年に修復されました。




紛争直前までサラエボ中心部にはセルビア人も住んでいたのに
自分達の貴重な歴史資料もあっただろうに、こんな無差別攻撃は本当に残念です。


1階は大きなホール、2階も会議室や小ホール等があり、
4階が政治に対するメッセージアート作品??の展示コーナーとなっていました。
*入館料 10BAM (クレカ可)
2)旧市街
サラエボ旧市街(バシュチャルシヤ)は、歴史的な街並みが広がるエリア。
オスマン帝国時代に築かれたこの地区は、石畳の道や伝統的なバザールが特徴で、
東西の文化が融合する独特の雰囲気を持っています。
シンボル的なスポットには、16世紀に建てられたモスクや、オスマン様式のセビリ(木製の噴水)があります。
また、伝統的なカフェや菓子店が点在し
周囲には工芸品店やレストランが並び、活気に満ちています。
ガジ・フスレフ・ベグ・モスクとメドレサ


●ガジ・フスレフ・ベグ・モスクは、ボスニア・ヘルツェゴビナで最も重要なイスラム建築の一つ。
16世紀にオスマン帝国の総督ガジ・フスレフ・ベグによって建設され、
優雅なドームやミナレット(尖塔)が特徴的。内部には美しい装飾やアラベスクが施され、
現在も多くの人々が礼拝に訪れます。
●ガジ・フスレフ・ベグ・メドレサ(神学校)は、モスクとともに設立された教育機関で、
ボスニア初の高等教育機関の一つとされていて
長い歴史を持ち、現在もイスラム学を学ぶ学生たちが通っています。
メドレサの中庭や建物は伝統的なオスマン建築の美しさを残しており、
サラエボでのオスマン帝国の歴史の解説があり美しいアラビア書道の文字も鑑賞できます。
*入館料 5BAM(現金のみ) モスクの隣に有料のトイレあり。
ユダヤ人博物館

ナチスのホロコーストが始まる前、サラエボには
約12,000人から14,000人のユダヤ人が居住していたとされています。
サラエボのユダヤ人コミュニティは主にスペイン系ユダヤ人(セファルディム)で、
1492年のスペインからの異教徒追放後にオスマン帝国領であったボスニアに移住しました。
(オスマン皇帝は歓迎して受け入れた)
また、19世紀後半には中央ヨーロッパからのアシュケナジム系ユダヤ人も増加しました。
しかし、ナチス占領下のユーゴスラビアでホロコーストが行われた結果、
サラエボのユダヤ人口の大半が殺害され、生存者はわずか数百人となりました。
戦後、一部の生存者が戻りましたが、多くはイスラエルなどへ移住し、
現在のサラエボには約700人以下のユダヤ人が暮らしていると推定されています。

1581年にサラエボに移住したセファルディム系ユダヤ人(スペイン系ユダヤ人)が建てた
最古のシナゴーグを利用した博物館はオスマン帝国時代の建築様式を持つ石造りの建物で
スぺインからサラエボに移住することになった中世からのユダヤ人の歴史や
サラエボで経済を支えていたユダヤ人コミュニティの様子、
戦時中のユダヤ人活動家等の資料展示があります。
ホロコーストの資料を期待して行ったのですが、それはほとんどありませんでした。
よく考えれば被害者側、生存者がほとんどいないので資料がないのは仕方ないかもしれません。
(一番ユダヤ人の資料が充実していたのは北マケドニアのスコピエのユダヤ人博物館)
ユダヤ人の歴史を知ることは今世界で起きているパレスチナ&イスラエルの問題を理解するのに役立ちます。
日本ではなかなか知る機会がないのでバルカン半島に行った際は是非ユダヤ人のことも学んでみてください。
*入館料 5BAM
ブルサ・ベジスタン/ガジ・フスレウベイ・べジスタン


●ブルサ・べジスタンはブルサから運ばれてきた絹を扱った旧引所で今は歴史博物館。
オスマン時代の道具や衣装の展示あり。
正直あまり見るところはなく、スタッフの私語が館内に響き渡ってうるさくゆっくり見学できず・・
*入館料 5BAM おススメスポットではありません。

●ガジ・フスレウベイ・べジスタンはホテルヨーロッパの隣にあり
オスマン時代の建物を利用したバザールで土産物屋、衣料品店が営業しています。
ブランドのコピー品が堂々と並んでいてびっくり。
教会
●旧正教会 16世紀建造。こじんまりとした教会で早朝から開いていました。出入り自由で細かい規制もなくゆっくりできます。無料。
●(カトリック)聖心大聖堂 今回見逃してしまいました。スレブレニツァのギャラリーがあったのに…無念!!
ガラージャ博物館(Gallery 11/07/95)1995年のスレブレニツァ虐殺を記録する写真・映像展示のギャラリー。
●生神女誕生大聖堂 2024年12月末外壁工事中。
セルビア正教なので外部に対して閉鎖的なのか扉が開けられたので入ると追い払われました・・
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丁度クリスマスの時期でしたが、カトリックの地ではないのでお祝いムードはなく
夕方16時には暗くなり、店も観光スポットも早々に閉まってしまいました。
主要観光名所が主に10時~16時営業の為、観光するにはいろいろ不便なこともありました。
(反対に夏は営業時間が遅くまで延長になっているみたいです。)
カフェやレストランは夜でも営業、
雪の中テラスでお茶してる現地の人がいますが真似はできません。((*_*;
バルカン半島の人の喫煙率は非常に高く、老若男女吸うのでテラス席なんだと思います。
旧市街には(日本人が思う)スーパーはあまりなくて雑貨店が数店舗。
日曜はスーパーも休みだったので要注意です。
スーパーはトラムのバシチャルシャ駅の真ん前にあります。クレカ可。夜10時まで営業(日曜休)
規模は大きくないですが、一通りのものは揃っていました。
3)ラテン橋/サラエボ市立博物館(Sarajevo Museum 1878–1918)

オーストリア=ハンガリー統治時代のサラエボの歴史を紹介する博物館で
1914年の第1次世界大戦のきっかけとなったオーストリア・ハンガリー帝国皇太子暗殺
「サラエボ事件」に関する展示、当時の新聞や銃器、映像があります。

フランツ・フェルディナント大公 とその妻 ゾフィー が、
セルビア系青年ガヴリロ・プリンツィプ によって暗殺されたのですが
教科書で見る絵は馴染があってもどんな人だったか想像しにくいもの。
ですが映像を観ると当時の様子が具体的に理解できました。
3階建てなので沢山展示があるのかと思いきや狭い1フロアだけの展示で少しがっかりでした。
*入館料 5BAM (現金のみ)


●ラテン橋
オスマン帝国時代の 16世紀 に建設された石造りの橋。
かつて橋の近くに「ラテン(カトリック系)商人」が住んでいたことから
「ラテン橋」と名付けられたとされています。
ラテン橋は、「サラエボ事件(Franz Ferdinand assassination)」の舞台として有名。
かつて暗殺犯の1人セルビア系青年ガヴリロ・プリンツィプ を称える記念碑があったのですが
時代の流れで現在は撤去されています。
冬期、この付近の橋はどれも夜間にライトアップされとても綺麗でした。

旧ユーゴ時代では英雄だった皇太子暗殺犯たち。今もセルビアでは英雄。

映画の舞台になったホテルヨーロッパ
この暗殺犯プリンツィプを現代で扱った映画もあります。
映画の舞台になったホテルは今も旧市街にあります。(トイレをお借りしました~)
4)アシュケナジム・シナゴーグ(Ashkenazi Synagogue)

ラテン橋を渡るとサラエボに移住したアシュケナジム系ユダヤ人(東欧系ユダヤ人)によって
1902年建設されたシナゴークがあります。。
旧市庁舎と同じネオ・ムーア様式(イスラム建築の影響を受けたデザイン)で、美しい装飾が特徴。
現在もサラエボ唯一の活動中のシナゴーグで、ユダヤ教の礼拝が行われています。
入口で身分証の提示を求められます。
パスポートを持参してなくて困ったのですが日本人なので?無しでも入館させてくれました。
但し、ここは現在のイスラエル&パレスチナ問題があるからか、閉鎖的です。
必ずガイドが必要で、5分のみの見学。
写真はOKですが動画はNG。自由に見学できる雰囲気ではありません。

ガイドの女性が簡単なサラエボのユダヤ人の歴史を語ってくれました。
ユダヤ教の礼拝時、着席は男女別々だそうです。
その人の祖先はスペインのトレドと言っていたのでセファルディム系なんでしょう。
もっとゆっくり話を聞きたかったのですが、
次に中国人グループが入ってきたのでその対応で話を聞くことができませんでした。
1階はカフェ兼ユダヤ人コミュニティ場みたいな感じで
他にも部屋があったので見学できるのかと思ったら、部外者立ち入り禁止と言われました。
*入館料 5BAM(現金のみ)身分証必要
5)スナイパー通り/国立博物館


スナイパー通り(Sniper Alley)
1992年~1996年のサラエボ包囲戦の際に、
狙撃兵(スナイパー)の標的になった道路の通称で
サラエボ中心部の主要道路(ゼリェズニチャル通りやザマルスカ通りなど)が該当します。
丘の上に陣取ったボスニア・セルビア軍の狙撃手が、市民や兵士を狙撃。
民間人約225人が死亡し、多くが負傷しました。
当時海外メディアの人達が詰めていたホリデインホテルは今もホテル・ホリデーとして営業、
又近辺の建物には数多くの銃痕があり紛争当時の傷跡を見ることができます。
現在この通りは新しい建物やショッピングモール等があり買い物客で賑わっています。

聖ヨセフ教会。カトリックなのでクリスマス時期の様子を見に立ち寄りました。24時間営業となっていたのに26日は閉まっていて中に入れませんでした。
国立博物館
1888年に設立されたボスニア最古の博物館。
大きな建物が4つあり考古学、民族学、自然史など多岐にわたる展示があります。

入口のある建物にはローマ時代の遺跡展示、
中庭に出て右手が図書館、
左手にあるのがイスラム様式の建築や衣装の展示
一番奥の建物には地球宇宙の成り立ち、動物剥製、昆虫、植物の絵展示
中庭には古代の石棺があり植物が植えられているので
春夏は花が咲いていて憩いのスペースになっているはずです。
私が興味を抱いたのはローマ古代遺跡のモザイク画とイスラム様式の建築でした。







イスラム建築の技術にはいつも驚かされます。
木彫刻の繊細な彫りと幾何学模様の寄せ木細工素晴らしい!
市内各地から移転されたものだと思いますがこのような遺産を近くで見学できてよかったです。
*入館料 20BAM(クレカ可)
動画
おまけ
12月下旬に行きましたが、大雪でした。
スノーブーツを履いて行ってよかったです。ボスニア東部からセルビアにかけては山間部なので同じく大雪。
ですがアドリア海方面、山脈を超えてモスタルからは急に気温が上がってスノーブーツを履いてると恥ずかしく感じるくらいでした。
旧市街にはカフェは沢山あり、トルココーヒーやチャイを楽しめるお店もありますが
人が多くてゆっくり1人でPC作業などしにくいな、タリーズみたいな場所はないかな、
という方にはこちら↓おひとり様でもゆっくりできたのでおススメです。
又、トルコ風お菓子でなく普通のパンが食べたい時にはこちら↓のお店もどうぞ。
どちらもバシチャルシャ駅のすぐ近く。

