2024年12月末にアルバニアの首都ティラナを訪れた時の様子です。気温は夜間で2度、日中14度で日本と同じくらい。
ティラナ(Tirana)は、アルバニアの最大の都市。1920年に首都となり、現在は政治・経済・文化の中心地として発展しています。
人口は約50万人で、活気ある都市。
スカンデルベグ広場 年末風景

ティラナの中心にあり、観光するにはまずこの広場から、というような場所です。
普段はだだっ広い空間みたいなのですが、年末の風景は全く違っていました。
スカンデルベグ像がどこにあるのかわからなくなるほど
出張遊園地があったり、
イベントの舞台が設置されていたり、出店があったり・・
昼も夜も家族連れで賑わっていました。

特に夜は大音響で賑やか、カラフルなイルミネーションが美しかったです!

そして大晦日、私は市中心部から離れた東バスターミナル近くに滞在していて見逃したのですが
年を跨ぐ0時、この広場では花火が打ち上げられます。(テレビ中継で知りました。)
花火は私の滞在していたホテル近くでもあり、うるさくて眠れないほどでした。
タイミングが合う人は是非現場で体感してみてください。

徒歩で行ける範囲に宿を取るのがおススメ。
大晦日は施設、店舗は早めに営業終了となります。元旦は大型ショッピングモールでさえ時短ではなく完全休業でした。要注意。
ティラナの交通事情
アルバニア全国で慢性的な渋滞が昼夜関係なくあります。
特に年末年始は酷かったです。移動には余裕を持って行動することをおすすめします。
地下鉄はなく車か市バスの利用しかありませんが、
その市バスはルートが複雑で、行と帰りのルートが異なることがあります。
未だに車内で車掌さんが運賃の回収に来るというシステム。(現金払い)
タクシーはカードはほぼ使えないと思っていいでしょう。
(極たまに車体にカードOK広告ありの車も見かけました)
ある人の記事によるとタクシー料金をぼられることが多いので
乗車する際はホテルで呼んでもらうなどした方がいいと書かれていました。
料金は安めだそう。空港から市内まで1500レク=15€(2024年3月投稿動画情報)
配車アプリ Speed taxi もあります。
私は今回使用しませんでしたがクレカ不可で現金のみ対応。

https://speedtaxi.al/
年末年始:交通機関は(市バス&長距離バス)一応運行しているようですが祝日ダイヤで本数は少ないように感じました。
観光案内所
ティラナ観光するにはまずスカンデルベグ広場近くにある案内所で地図をもらうことをお勧めします。
観光スポットや複雑なルートを持つバスルートマップが掲載されているからです。
担当の人も親切でした。(地図はQRコードからダウンロードも可能)


スカンデルベグ広場 観光スポット
ここからは一般的な観光スポットのご紹介です。
スカンデルベグ像
スカンデルベグは15世紀にオスマン帝国に対抗したアルバニアの英雄であり、
アルバニアのアイデンティティの象徴とされています。
アルバニアの貴族カストリオティ家に生まれ少年時代にオスマン帝国に人質として送られ、イスラム教に改宗。
オスマン軍の将軍として軍事経験を積みましたが
1443年、オスマン帝国を裏切り、アルバニアに戻りクロヤ城(Krujë)を奪還し、反オスマン同盟を結成。
25年間オスマン帝国の侵攻を撃退し続けました。
1912年に独立した際、スカンデルベグの旗(黒い双頭の鷲)が国旗として採用されました。

コソボ独立運動やアルバニア系民族主義の象徴。コソボ解放軍がいる地域では本当によく目にしました!
スカンデルベグは 「アルバニアの自由と抵抗の精神」 を象徴する存在として、
現代でも非常に尊敬されています。
国立歴史博物館
1981年に開館のアルバニアの歴史や文化を学ぶ上で最も重要な施設の一つ。
博物館の正面には共産主義時代に作られた巨大なモザイク「アルバニア(The Albanians)」があり、
スカンデルベグや共産党の戦士が描かれています。
大変興味があったのですが、残念ながら年末年始は関係なく、
2024年12月末現在大規模な改修工事中で
建物全部が覆われていました。リニューアルオープンの時期は不明。
因みに展示内容は
- 古代(イルリア時代) – アルバニアの先住民族であるイルリア人の遺物。
- 中世(スカンデルベグ時代) – スカンデルベグの剣や甲冑など。
- オスマン帝国時代 – 文化、建築、反オスマン運動の展示。
- 独立運動(19~20世紀) – 1912年のアルバニア独立に関する資料。
- 第二次世界大戦と共産主義時代 – ナチス占領期やエンヴェル・ホッジャ政権の展示。
- 共産主義時代の弾圧に関する展示 – 政治犯の証言や監獄の写真。
青文字のところは是非見たかったのですが、残念でした。
海外旅で改装中やストで見れないことは「あるある」で、本当に運次第です……
エトヘム・ベイ・モスク(Et’hem Bey Mosque)
18世紀末から19世紀初頭に建てられたティラナ最古のモスクの一つ。
壁や天井には、 花や木の細密画 が描かれ、オスマン建築の美しさが見られます。
(バルカン半島のモスクはタイルの使用は少なくて、フレスコ画+木造が多い)
かつて1967年共産主義政権下で宗教弾圧でこのモスクも閉鎖されたそうですが
1991年共産主義崩壊後に再開され、市民が自由に礼拝できるようになり
現在ではティラナの重要な観光名所であり、地元のイスラム教徒の礼拝の場になっています。
一つ残念だったのは広場の周りに高層ビルや高層ホテルが乱立!
歴史ある建物がビル群の中で埋もれている感じがしました。
写真撮影はどこからとっても必ずビルが入り込む”(-“”-)”
その他 ティラナ観光スポット
東方正教会

アルバニアは、イスラム教徒が多数派(約60%) ですが、
キリスト教徒<カトリック(約10%)正教会(約7%)>や
無宗教の人々も多い 国で、宗教的に寛容性が高い社会と言われています。
オスマン帝国支配(15~20世紀)前はキリスト教徒が多くいましたが、
オスマン支配後はイスラム教徒が多数派になりました。
ホッジャ政権になり共産主義時代(1944~1991年) に 世界初の「無神国家」 が宣言され
宗教活動が弾圧されたため、多くの人々が宗教を離れざるを得ませんでした。
1991年以降、宗教の自由は回復しましたが、現在も宗教意識が薄い人が多く
世俗的な価値観 が強いのだそうです。
(コソボのアルバニア人は民族と宗教でセルビア人と激しく対立しているので本国アルバニアの現状は意外でした)
広場の近くに正教会があったのでフラッっと立ち寄ってみたらとても良い氣の空間で
ついつい座って長居してしまいました。
地下には広々とした正教会用グッズが沢山あって、ゆっくり見て選ぶことができました。
バルカン半島、歴史ある東方正教会ではグッズは入口の小さな売店にあり、
おばあさんの目を気にしながらで、ゆっくり見れないことが多いのですが
ここは価格も明瞭、近代的レジもあって燭台やイコン画など手に取って見学できたのがよかったです。
葉の館(House of Leaves)/秘密警察資料博物館

大通りに面する一見普通に見える館の内部は秘密警察のアジトだった。
ティラナの「葉の家」(House of Leaves)は、2017年5月23日に一般公開されました。
アルバニアの共産主義時代、1944年から1991年にあった
国家保安局=秘密警察「シグリミ」の活動を伝える博物館で
共産主義社会を知らない日本人、戦前の軍国主義時代を知らない日本人は
バンクアートと共にティラナで一番見るべき所だと思います。
この建物は、元々は産婦人科医院として建設され、その後シグリミの拠点として利用されました。
シグリミはソ連のKGBや東ドイツのシュタージのような国家監視・弾圧機関 であり、
エンヴェル・ホッジャ政権下で極めて強力な権限を持っていました。
現在は当時の監視装置や関連資料が展示されています。館内は撮影禁止。
シグリミの活動とは① 反体制派の監視・弾圧
② 盗聴と密告ネットワーク
恐怖による支配が強まった。 ③ 強制収容所と拷問
④ 国境の封鎖と脱出阻止
⑤ 外国スパイの取り締まり
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1階には
●シグリミの組織図やどうやってスパイを管理運営していたかの説明パネルの展示
●実際に使われていた通信機器(テープレコーダ、VIDEO、カメラ、マイク、ラジオ等)の展示
●当時制作されたホッジャや仮想敵国に関する洗脳映画ポスター展示
驚いたのは
●盗聴器(バグ)が仕掛けられていた場所の写真資料で
ネクタイからパイプ台、バッグ、灰皿、ラジオ、杖までありとあらゆる生活品に巧みに隠されていたようです。
●1949年から1990年までの
エージェントの数、地元協力者数、情報提供者数、関連施設や家の数が一覧表になっていたのですが
数が多かったのは1964年、1979年、1990年でした。
例えばの数(メモしたのが間違っていたらすみません)
1986年の エージェント1338、地元協力者1000、情報提供者10527、関連施設2000 とありました。
1978年のスパイ人口は約20%(国民5人に1人?/1980年推定人口: 約 271万人)
これに対し政敵はたった1.2%とあったので誰も国に反抗できなかったことを物語っていますね。
2階には
●写真現像室、通信傍受室
●ホッジャ宣伝映画の映像
●強制収容所で生き残った人々の体験、証言映像(これが一番印象に残りました)
突然連れ去られ、プラスチックや紙の家で雨風に耐え
炭鉱で18時間近くの強制労働させられ、最悪銃殺された人もいました。(射殺映像あり)
地下には

建物の外に地下壕があります。コンクリートのとても分厚い扉があって
絶対に逃げ出せないような構造。
多分ここに政治犯などが収容されていたと思います。
日光はほとんど入らないコンクリート打ちっぱなし牢屋のような空間で、
空気用立坑が一か所だけありました。
当時の状況を想像するだけでぞっとしました。
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教育や洗脳によって家族や友人も信じられない社会、
苦しい時に心の支えにしたい信仰さえ奪われ恐怖で抑圧された社会。
たった一人の独裁者の為に半世紀近く困難な時代を過ごした人々の事を考えると
今の日本は(いろいろありますが)随分マシだな、と感じます。
開館時間:10:00〜17:00(日曜は10:00〜14:00)休館日:月曜日 入館料:700レク(2024年12月)
Bunk’Art 1 & 2 (どちらもアルバニア社会主義時代の歴史を深く理解するための重要な施設)
異常な数の核シェルターの背景: ホッジャ(Enver Hoxha 1944-1985)は 極端な防衛主義者 であり、 彼はソ連・ユーゴスラビア・アメリカ・中国など、あらゆる国を潜在的な敵とみなし、 アルバニアを 常に外敵の脅威にさらされている国 だと考え、独自の社会主義体制 で守ろうとしました。 特に、1968年にソ連がチェコスロバキアに侵攻(プラハの春)したことで、 ソ連がアルバニアを攻撃する 可能性があると恐れ、国防強化を推し進めました。 又、国民に 「いつでも敵が攻めてくる」 という恐怖を植え付け、体制を維持しようとしました。 学校教育やメディアでは 「敵に備えよ」 というスローガンが繰り返され 国民は バンカー(核シェルター)の建設 に強制的に動員され、 国防意識を徹底的に植え付けられました。 危機が迫っていないのに軍事訓練が義務化され、バンカーの建設は 実際の戦争対策 というより、 独裁政権を維持するための道具 でした。 バンカーは 都市だけでなく山や田舎にも大量に建設 され40年以上にわたって 約17万~75万個(正確な数は不明)のバンカーが作られたそうです。 これらにより食料・インフラ・医療よりも軍事が優先 され、国民生活は極端に貧しくなり 1980年代後半には、アルバニアは 最貧国レベルの経済状態 となりました。 1991年に共産主義が崩壊。バンカーは 不要な遺産 となり、 現在は多くが 放置・解体・再利用 されています。(頑丈すぎて簡単に解体できない!) 現在、バンカーの多くは 観光名所(Bunk’Art 1・2) や カフェ・ホテル に再利用されていますが、当時の異常な政策の象徴として残っています。 |
Bunk’Art 1は、共産主義時代のアルバニアの生活や文化を広く紹介する博物館。
ティラナ郊外に位置し、かつての巨大な核シェルターを利用。
5階建てで、106の部屋と会議ホールを備えています。 Bashkia Tirane
Bunk’Art 2は、秘密警察の活動や監視体制に焦点を当てた博物館です。
ティラナ市内中心部、内務省の地下に位置して24の部屋があり、総面積は約1,000平方メートル。
主に秘密警察「シギュリミ」の活動や共産主義政権下での抑圧と監視の歴史を展示。
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大晦日の午前中、バンクアート2の営業中を確認してランチ後に行ったらなんと営業終了直後!(涙)
大晦日は13時で閉館でした。(これは入口、グーグルマップやホームページにも告知されておらず、本当に無念!)
バンクアート1は元旦でも営業しているとグーグルマップを見て案内所のお姉さんは大丈夫と言ってくれましたが
信用できないので今回の旅では行くことを諦めました。
→バンクアート1の様子
バンクアート1へのアクセス
広場には幾つかのバス乗り場がありますが、
モスクから東に向かって歩いたあたりにあります。(写真参照)年末年始も運行。
買物スポット


民芸品等、年末年始ならスカンデルべグ広場のマーケットが比較的安いかもしれません。
食料品は大型スーパーがおススメ。(別の記事で紹介します。)

それ以外に人にプレゼントする見栄えの良いお土産ならTirana Castleがいいかもしれません。
高さ約6メートルの壁が残る中世の要塞跡の中に
レストラン、カフェ、土産物店、アートギャラリーなどが立ち並ぶ文化的なスポットです。
(店にレジがあるのでクレカOKのはず)
その起源は6世紀から13世紀に遡り、ビザンチン時代の名残とされています。
ティラナで荷物を預けるには?
今回ティラナ中心地で2泊、東バスターミナル近くで3泊しました。
朝にチェックアウトして夕方に次のホテルでチェックインしたのですが
その間に観光したいけど、荷物をどうするか???
(一番便利なのは国立博物館ですが今は臨時休業中)
海外で荷物を預けるにはアプリがあります。https://radicalstorage.com/ja/
上のアプリを使おうとしたのですが、
このアプリで問題なのは予約を完了するまで住所詳細が表示されないこと。
事前にその場所を確定できないのです。
支払った後に預ける場所が見つけられなかったら、と不安になりますよね。
テッサロニキでは事前確認でそれらしき住所のところに行っても
荷物を預けられそうな店や場所がなかったってこともありました。
ティラナではこのアプリに表示されている地点あたりをグーグルマップで検索すると
荷物預けできる場所を発見!できたのでそこに預けました。

小さなホテルのレセプションです。入口に階段があります。
おじさんに荷物預けをしたい!というだけでOK。特にロッカーがあるわけでもなく
このレセプションの横に置くだけ。預かり証もくれません。でも問題なし!
費用は荷物1個につき500レク(約5€、約800円)でした。
エスプレッソもサービスしてくれました(#^.^#)
(アプリでは荷物1個5€+保険3.5€ 約1380円)
ただ預けるだけは本当に助かります!
*最近はロッカールームが主流なのか、テッサロニキで最新のものは
入口でアプリをダウンロードして個人情報を登録し
中に入ったとしてもそこに設置している画面で操作してから預ける、なんて複雑なものがありました。
結局アプリ不具合で登録できず隣の店の人に助けてもらうというハプニング!
アナログ人間には従来の方式が助かります。(苦笑)
絶対見て欲しいおすすめ動画
1人で世界を旅するBappa Shotaさんはジャーナリストと言っていいくらい、
世界中の普段日本人が観光で行かない国のレポートをしてくれています。
アルバニアの詳しい歴史、ティラナの現状、実際に残るバンカーの様子、
共産時代を経験した人達のインタビュー、アルバニア人のおもてなし、大自然等
大変参考になる動画です。