
北マケドニア 有名観光地オフリドから首都スコピエまでバスで移動しました。ターミナルの様子などご紹介します。(2025年1月現在)
バスチケット手配
今回も Get by bus で事前にチケットを予約しました。
(2025年4月からサイトの名前が変更されているようです!Get by busで入力しても↓このサイトに飛びます。)
Traveling.com:バス、電車、フェリー、航空券をオンラインで予約する
サイトから申し込んでクレカ決済が済むとメールが送られてきます。
添付ファイルを開いて印刷しておきます。(運転手さんによって紙媒体でないとダメなこともあるので)
アプリから予約状況を確認することができます。


オフリド バスターミナル

オフリドのバスターミナルは清潔ですが大きくはありません。
入口手前にATMが1台、中に入ってカフェが1軒、チケット売り場窓口、待合席、有料トイレとなっています。

バスが7時15分発だったので6時半ぐらいに行きましたが、カフェはまだ開いていませんでした。
窓口は早朝でも開いていました。
有料トイレは10デナリコインのみ対応。小銭がなかったので窓口の女性に両替を頼んだら快くしてくれました。


出発時間5分前、ギリギリにバスが来たので急いでバス乗り場に行こうとしたら改札で止められました。
なぜならチケットを購入済みでも窓口でターミナル使用料を払う必要があったからです。
改札前に払ってレシートをもらっておきましょう!
(地元民は別の場所でチケット代+使用料を払っているのか、誰も窓口を利用しておらず気がつきませんでした。)
窓口で30デナリ(約80円、約0.5€)を払い、再び改札に行ったら
おじさんは使用料のレシートだけ確認して私のチケットに目もくれず
「バスは後30分したら来るから座って待っておきなさい!」と、通してくれません。
いや、いや、そこに停まってるバスのはず、と思ってチケットの時間を見せるとやっと納得したようで
改札を通してくれました。あのおじさんの言うことを素直に聞いていたら
ずっと待っていたのにバスを乗り逃がしてエライことになっていたと思います。”(-“”-)”
ターミナルには発着を示す電光掲示板などの設置はないので自分で判断して動くことをお勧め。


車両はミニバス。手荷物預けに料金はかかりませんでした。
スコピエへの道
7時15分、定刻に出発。
Podmoljeから一路北上していき、1時間ほどでKicevo(キチェボ)という街を通り過ぎました。
Kicevoには軍事基地があるようです。

やがてMavrovo国立公園に入ったあたりから山道で残雪が目立つようになりました。
オフリドでは湖岸以外はそれほど寒く感じてなかったのですが地形が変化したようです。
出発から1時間15分、トイレ休憩の為カフェで停車。ここでは大雪でびっくり!



トイレは無料、休憩時間は15分ほどでした。ここのパンが特別なのか、近くにパン屋さんがないのか、
わざわざ車を降りて持ち帰りのパンを購入している人が沢山いました。
今も続く民族対立 大アルバニア主義
険しい山道を抜けるとゴスティヴァルの町。ここからテトヴォの町までの間には
小さな町や村が点在していて、そこであることに気が付きます。
そう、モスクが必ずあることと、アルバニアの国旗が掲げられていること!

ここは北マケドニア、
自国の国旗でなく
隣国アルバニアの国旗を掲げているのは何故でしょう?
大アルバニア主義(Greater Albania)について
大アルバニア主義は、アルバニア人が多く住む地域を
一つの国家(あるいは統合された政治体制)としてまとめようとする民族統一主義的な思想・運動です。
この思想が生まれた背景には
アルバニア人はオスマン帝国の支配下では広範囲に居住(でも国家を持っていなかった)していましたが
1912年の第1次バルカン戦争でオスマン帝国が負けたことにより
セルビア、ギリシャ、ブルガリアなどがアルバニア人居住地を分割占領。
そしてアルバニアは1912年に独立を宣言しますが…
ロンドン会議(1913年)で列強国(イギリス・オーストリア・ロシアなど)の思惑で
独立を認めつつも、国境は極端に縮小されてしまったのです。
「アルバニア人の居住地の大部分が他国に編入された」のでそれをもう一度ひとつにしたい、
という思いなのです。
この思想は、周辺諸国の領土一体性に対する脅威と見なされており、バルカン地域の緊張の一因になっています。
*大アルバニア主義と似ているのが大イスラエル主義、これを目指してイスラエルは今あちこちで戦争を仕掛けてます!
*枢軸国によって勝手に国境線が引かれて民族が分断、今も国を持てず世界的な問題にもなっているクルド人とも似ている気がします。
北マケドニアでの民族解放運動とは
北マケドニア全人口の約25%前後がアルバニア系住民(主にイスラム教徒)。
2001年にアルバニア系武装勢力である民族解放軍(NLA: National Liberation Army=UÇK)が、
アルバニア系住民の権利の拡大(言語、政治参加、教育、自治など)を求め
マケドニア政府に対して武装蜂起しました。(UÇKの文字はコソボでも見ました!)
具体的にそれまでアルバニア系住民の立場は弱く:
1991年にユーゴスラビアから独立した時点で全人口の20〜25%がアルバニア系だったのですが
公用語はマケドニア語のみで、アルバニア語は公式な場では使えなかった。
アルバニア系の居住地域では、インフラや教育、公共サービスが不十分だった。
警察や軍などの治安機関におけるアルバニア系の比率は非常に低かった(2〜3%程度とも)。
国立大学にはアルバニア語での授業がなかったため、学生の進学が困難という問題もあった。
アルバニア系住民の声は届きにくく、議会では少数派。
アルバニア系政党は存在していたが、マケドニア人多数派との対話は限られていた。
この様な状況だったので特にアルバニア系が多数を占める
北西部の地域(テトヴォ、ゴスティヴァル、キチェヴォなど)では自治的支配を目指していました。
2001年、オフリド合意により改善、アルバニア語が公用語の1つとして認められ、
また警察や行政機関へのアルバニア系の登用などが進められました。
現在でもテトヴォやゴスティヴァルといった都市では、アルバニア語が広く使われ、
アルバニア系市長が選出されるなど、実質的な自治的支配が一定程度存在するそうです。
地図で確認すると
⇚ウィキペディアより拝借
左が今回通っているルートで、右が大アルバニア構想の地図。
見比べると今回のルートは完全に大アルバニア主義地図に入っています!
現在は武力衝突などは起きていないものの、民族間の不信感・政治的対立はなお残る状態だそうです。
その表れとして教育現場では
多民族都市(例:スコピエ、キチェヴォ、ストゥガなど)において、
同じ校舎に「マケドニア語クラス」と「アルバニア語クラス」が併設されていることが多く
例えば、1階はマケドニア語、2階はアルバニア語で授業が行われ、
カリキュラムも微妙に異なり、歴史や文学で異なる「国民的な視点」が教えられる傾向があり
又、体育や音楽などの一部授業以外は交流がほとんどない、というから問題の根は深いです。
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ゴスティヴァルの村。 この山の向こうはコソボやアルバニアで、民族解放軍(NLA)は山を越えて攻め入り、武力でマケドニア人を追い出したことも・・
では、民族解放軍は本当に正義の味方だったのかというとそうとは言い切れないと思っています。
なぜならNLAの構成員は黒い噂もあったコソボ解放軍(KLA)の元戦闘員たちで
1999年のコソボ紛争後、解体されたKLAがNLAとして再編成され北マケドニアに流入、
アルバニア系住民の「権利拡大」を名目に武装蜂起を始めました。
(つまりNLAはすべてのアルバニア系住民の代表ではなく、急進的な一部のグループによる武装行動だった)
NLAは「アルバニア系住民の擁護」を掲げながらも、アルバニア人が多くない地域にも武装侵入し、
マケドニア人住民への暴行や拉致、殺害といった行為もあったと報告されているからです。
■ 地元アルバニア系住民の反応は
アルバニア系住民の中にも、NLAの暴力的な手法に反発する声があり、
一部のアルバニア系政治家は当初「対話による解決」を求めていましたが、
NLAに押される形で立場が変化していったそうです。
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スコピエまで、ずっとアルバニア国旗が掲げられる町が続きました。
北マケドニアなのに正教会の教会もあまり見かけず変な感じ。
本でこの地域では過去に暴行や殺人が行われたという話を読んでいたので
一見平和そうに見えるこんな田舎に、ある日テロリストのような人が山を越えてやってきて
昨日まで地元民と仲良く共存していた人達を武力で襲撃するなんて信じられない……
と思いながら窓からの景色を眺めていました。
*Tetovo(テトヴォ)は解放軍による自治支配の町でコワいイメージがあったのですがとても美しいモスクがあるようです。
↑バルカン半島全体の問題や戦争に巻き込まれた当時の人々の様子をサッカー選手の生きざまを通じてレポしてくれている良著。
首都スコピエ バスターミナル /荷物預け
10時10分、定刻で到着。国境越えがないのでスムーズでした!(#^.^#)
夜にブルガリアのソフィアに向かうのでそれまでスコピエで時間を潰します。
大きな荷物を持って観光に行きたくはありあせん。
近くにロッカーらしきものはなく、(↑の写真)インフォメーション窓口で聞いてみました。
すると、なんとここで預かってくれるというではありませんか!!
(確か4番の)窓口で50デナリ(約130円)を払うとレシートをくれます。
次に窓口が並ぶ一番左端に荷物預けのコーナーがあるので係員を呼んで荷物を渡せばOK!
ターミナルには2軒のコンビのような店、カフェ、ATM2台、有料トイレ、旅行会社などがありました。
規模は大きいです。到着時ターミナルに入る前からタクシーの客引きがウザかったです。
トイレは有料(40デナリ)なのにあまり清潔ではありませんでした。
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ここから出発するときもターミナル使用料50デナリを支払いました。
改札でおじさんにレシートをチェック、回収されます。
繁華街、旧市街へのアクセス
バスターミナルから北マケドニアスクエアまで徒歩で1.8キロ、約25分。
スコピエは数時間しか滞在しないしほとんど期待した街じゃなかったので下調べしてませんでした。
バスの乗り方がわからず結局往復歩きましたが、バスはロンドンバスなので乗ってみるのもありかも。


「世界一変てこな街」スコピエを散策する前に、「スコピエ2014計画」と「カラフル革命」を知る

2010年代初頭、マケドニア政府(当時は与党VMRO-DPMNE)が推進した
大規模都市改造(観光都市化)プロジェクトがありました。
「ヨーロッパ的で誇り高い首都」を演出するという、ナショナリズム+欧州志向の象徴的な試みで、
その名も「Skopje 2014(スコピエ2014計画)」!
なんでロンドンバス??
ロンドンバス風のデザインは世界中で「観光都市」の象徴として人気があります。
スコピエでも「ヨーロッパらしさを演出し、外国人観光客を惹きつける狙い」で、
政府は中国からこのバスを輸入しました!(ロンドン製ではない)。
「ヨーロッパの一部であること」「近代的な首都であること」を象徴しつつ、
同時に「他とは違う自分たちの首都を作るんだ」という意識もあったようです。
パクリの建物オンパレード
この計画ではロンドンバスの他にも古典ヨーロッパ風の建築物が多数建てられました。
古代ギリシャ・ローマ風に仕上げられていて、外観はかなり「ヨーロッパっぽい」です。
建物名 | モデル・イメージ元 | 特徴 |
---|---|---|
新考古学博物館 | パルテノン神殿+ブダペストの建築風 | 巨大な列柱に囲まれた白亜の建物。コリント式の柱多数 |
マケドニア門(凱旋門) | パリのエトワール凱旋門 | 独立記念を祝うが、大理石風でパリ風 |
司法省・財務省庁舎 | ウィーンやベルリンの官庁建築風 | 豪華な装飾とライトアップあり |
橋(アーティスト橋など) | プラハやロンドンの橋を参考 | 両脇に大量の銅像を並べて装飾 |
新ナショナル劇場 | ウィーン国立歌劇場風? | ネオ・バロック+ネオ・クラシック調で仕上げ |
自分が行ったことのある建物や建造物があると一見してそれとわかり、テンションがあがります!
今回のバルカン半島旅で見たヴィシェグラードのドリナの橋もありました(#^.^#)
街の至る所に“巨大”な銅像が!
加えて、街のいたるところに尋常ではない大きさの銅像が乱立しています!
道端や、広場だけでなく、建物にもへばりついていました(苦笑)↓

銅像の通称 | 正式名/人物 | 高さ(像+台座) | 備考 |
---|---|---|---|
戦士像 | 実質「アレクサンダー大王像」 | 約24m(像12m+台座12m) | 馬に乗り剣を掲げる姿。市の中心広場にドンと立つ。ギリシャとの国名問題を刺激 |
戦士の母像 | オリンピア(アレクサンダーの母) | 約9m(台座含む) | アレクサンダー像とペアで建てられた |
フィリッポス2世像 | アレクサンダーの父 | 約15m | 中央広場の反対側に配置されている |
聖クリメント像 | 聖人であり教育者 | かなり多くの場所に設置 | |
ツァール・サミュエル像 | 中世マケドニアの皇帝 | 約5m | 市民からは不気味との声も… |

アレクサンダーの父:フィリッポス2世の像。下の3人はアレクサンダー子供時代と両親。左下の通行人と比べると巨大なのがわかる。



上記の他にもアルバニアの英雄スカンデルべグの銅像もあって、知っている人の像があるとこれも面白いです!
こうした銅像は合わせて130体以上建設されたとされます。
「自国のアイデンティティと歴史を見える形で表現」したかったようです。
人々の反応
しかし、こんな都市計画を見て外国人でもこのお金はどこから・・なんて思ってしまうくらいの規模。
実際国内外で税金の無駄遣いだ、こんなことより教育・医療・雇用に使うべきと批判され、
多くの市民やアーティスト、メディアはこれを「まるでおとぎの国を目指すような政策」と皮肉りました。
「ロンドンバスのように、アイデンティティも輸入している」という辛辣な声もありました。
*予算約100億円(8000万€)に対し、実際の総額は推定800億円近く(6億€)だったとも言われています。
どこかの国の万博の予算が大幅に上回り、民意を無視している状況を思い出します。”(-“”-)”ここでも不正や汚職の臭いが・・プンプン!

https://en.prothomalo.com/photo/TODAY-IN-PICTURES-21-May-2016

https://en.prothomalo.com/photo/TODAY-IN-PICTURES-21-May-2016
市民による風刺・抗議のアクションとして
風刺的なアートや落書き(グラフィティ)、パフォーマンス抗議が行われました。例えば:
カラフルに塗られた凱旋門は権威の象徴をポップに無力化するとか。
銅像に目隠しをして「真実から目を背けている」というメッセージを送るとか。
最初は単に都市計画に対しての不満だけだったかもしれませんが、
その後次々と政府の問題が発覚!
実はその一部が政権側の利権化されていたという疑惑。
恩赦を出して追及を止めようとした。これが国民の怒りに火をつけた。 |
このようなことから2016年大規模な抗議運動に発展しました!

https://prishtinainsight.com/united-colors-macedonian-revolution-mag/
「カラー革命」(Colorful Revolution/Шарена револуција)。
(建物自体が問題なのではなく、「あれを作った人たちの姿勢そのもの」が批判の対象だった。)
その後2017年、政権交代でVMRO-DPMNEが退陣。
後任政権(社会民主同盟)は「スコピエ2014の見直し」を宣言し、
一部像や建物は非公開になったり、ライトアップが停止されたりしました。
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現在の建物はペンキにまみれていません。(笑)
でもこんな国民の抗議運動があったと知ると街の見方が変わります。
とは言うものの、観光客として建物や銅像はかなり楽しめました。
旅好きなら安野光雅の「旅の絵本」をご存知の方もいるかもしれません。
その絵本に文字はなく絵があるのみなんですが、そこにその国の文学作品の登場人物が
さりげなく忍ばせてあって、それを探すのが楽しいのです!
それのリアル版がスコピエです!
国民は大変な思いだったでしょうが、この政策は世界では「#世界一変てこな街」として知られ
観光客も増えたみたいなので全く無意味だったわけではないと思います。
*モンテネグロの首都ポドゴリツァは何にもなくて退屈でしたから、それと比べるとスコピエはおススメできる街。
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- Skopije Las Vegas of the Balkans 「バルカンのラスベガス」(豪華すぎてチグハグな建築スタイルを皮肉った言い方。)
観光スポットについては次回書きますね!
時間潰しに便利なショッピングセンター




ターミナルから500m、徒歩5分くらい、
Vero Centerというショッピングセンター内には大型スーパーがありました。
ピザやハンバーガーのお店もあるようです。HPによると両替所もあり。
旧市街まで行くには時間が足りない、でもバスターミナルで時間を過ごすには落ち着かない。
そんな時はこちらはいかがでしょう?
私はソフィアに到着するのが深夜だとわかっていたのでここで食料品を調達しました。
営業時間:(HPより)
月曜日~土曜日: 07:30~22:00 日曜日: 10:00~20:00